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「完全記録 山口百恵」が一週間くらい前に届いた。ズシリ、と重い。完全注文制で売られたそうだが、多分、ヤフオクなどには出品されると思う。それはともかく、百恵ちゃんが駆け抜けた芸能界でのプリント記録としては貴重なものだし、タイトルにあるように、かなり「完全」に近いと思う。私は彼女のファンだったが、コレクターではなかったから、今回の記録で初めて目にするものもある。ただ、当時、LPを買うときは必ずポスターも手に入れるようにしていたのが役立って、何点かポスターを貸した。
百恵ちゃんに関しては、私の中で「殿堂入り」した人なので、いまのところ、ほとんどのものは買うだけで満足している。ちょっと、ファンの道からはずれているなぁ。
- 2012/04/05(木) 01:50:24|
- 山口百恵
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母の訃報を新聞(単なる「お悔やみ」欄。結構、この告知欄をチェックしている人が多い)で知った人たちが、お線香をあげに来た。その中に女学校時代の同級生と母の実家の近所に住んでいた人たちがいた。母の実家は室蘭市の隣にある伊達市。明治時代に伊達藩ゆかりの人たちが開墾したところだそうだ。もっとも、母の両親は伊達藩とは縁もゆかりもない。母が若いころ、その伊達から室蘭市にある女学校に汽車通学をしていた。成績が良くて、汽車通学ができたのは数人だったそうで、偶然にも彼ら全員が札幌に住んでいる。それで、年に一、二度会ってお茶などをしていたそうだ。母と親しかった一人が数年前に病気で亡くなって、会合も自然になくなった。因みに、他の同級生たちは健在だ。
前置きはこのくらいにする。お線香をあげに来た三人のうちの一人は若くして未亡人になった人だ。ご主人は医者だったと聞いたことがある。仮にその人をAさんと呼ぶ。母はこのAさんがやや苦手だったというか、いつも神経を逆なでされることを言われる、と愚痴っていた。私は母がAさんの言葉に敏感すぎるのではないか、と思っていた。が、あの日、その意味がわかった。
三人は一通り母の霊前にお線香をあげて手を合わせた。そして、どういう経緯で母は亡くなったのか、と尋ねた。私は、「急だったんですよ。ちょっと体調が悪くて入院していたのですが、担当医も看護師さんも驚いたくらいに、急に、容態が悪くなってしまって」と答えた。すると、どこが悪かったの、いつから入院していたの、と更に聞きたがる。そして、Aさんが言った。「死亡診断書には何て書いてあったの?」
彼らは一言もお悔やみの言葉は言わなかったのではなかろうか。言ったかもしれないが、記憶にない。「私たちだけが残って、寂しくなった」とは言ってくれた。だが、彼らの興味はあくまでも、母の死因、でしかなかった。
この日の主なAさん語録。「あなた、日本語が上手ね」「アメリカでは何を食べていたの?」「(父に向って)養女だった妹さんはお元気?どこにいらっしゃるの?」ETC
三人は残された父と私が笑顔で彼らの設問に答えるので、「元気そうで何より」と言って帰っていった。
- 2012/03/29(木) 01:31:03|
- 日常
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3月14日の0時50分、母は死亡宣告を入院先の当直医師によって受けました。私がずっと付き添って見ていた感じでは、0時45分ごろ、呼吸が止まりました。つい、1,2時間前までは声は出せなくても首を振ったりして意思表示をしていたのに、あっけない最後でした。しかし、私たちの望んだとおりの穏やかな旅立ちでした。死に顔は美しくて、母がこんなに美人だっととは知りませんでした。
私は、もう秘密を抱えていなくてもいいんだなぁ、感情を押し殺して生きることもないのだなぁ、と思いました。母が膵臓ガンと診断された日から、ずっと、平静を保ち、ポーカーファイスで両親や親せき、知人たちとと接してきたのです。とくに、両親にはなにも悟られないように、かといって、見え透いた嘘もつかないようにしました。
けれども、お通夜もお葬式も終わって、お参りに来た人や、お悔やみの電話をかけてきた人たちに、再び、私は感情を殺して「高齢だったから仕方がありません。寿命だったのだと思います」としか答えないようにしています。詳しい病状などは話す必要がないでしょう。
母はかわいい人でした。茶目っけがあって、私たち母子は漫才のような会話をして、看護師さんたちを笑わせていました。「ありがとう」は何度言ってもいい、というとそれを実践し、呪文のように「ありがとう」を言っていました。「すみません」を「ありがとう」に、「ごめんなさい」も「ありがとう」にかえて言うようにしていました。最後の言葉も聞きとりにくかったけど、力を振り絞って私に「あ・り・が・と・う」と言ったのです。
だから、わたしも、ありがとうと言ってお別れをしました。
- 2012/03/20(火) 02:04:44|
- 日常
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12月30日はアニタの祥月命日。30日の午前2時50分に亡くなったとされているが、当時(2003年)病院へ駆けつけた人の話では、2時半頃にはもう息を引き取っていた、とのことだ。翌年からアニタのファンクラブ主催による追悼会に毎年参加していたが、今年は年末の香港行きを断念した。
ロサンゼルスでコンピュータを立ち上げた途端に目に入ってきたアニタの訃報ニュース。あんなに驚いたことはなかった。当時の私はまだアニタ・ファンではなかったから、彼女が重病だという香港からのニュースを真剣に受け止めてはいなかったのだ。あれから、早いもので8年が経つ。
長い間、ブログ更新を怠っているが、何とか、年を越す前に10月10日のつづきを書こうと思う。実を言うと、最近は「もうなぁ〜んにもしたくない。スマホを持っているけど使えない。コンピュータも思うように操作できない。無能に限りなく近い」とネガティブになって、全てを放り出したい心境なのだ。
でも、とにかく・・・・・・。
香港との時差は1時間。あと、もう少し起きていよう。
- 2011/12/30(金) 02:25:37|
- 梅艶芳
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やっと昨夜遅くから札幌市内にも雪が降り始めた。今年は暖かくて、例年なら11月の初めに降る「初雪」が、今週初めから、降るぞ、降るぞ、という予報があり、私も何故か心待ちにしていたのだ。それが、とうとう、16日の午後11時ごろからか降り出した。未だに降りやまないので、結構積もるかもしれない。
10月の中旬から喉の痛みや咳で体調が悪く、おまけにあごの下がはれ上がってしまって、ミニ・マツコ・デラックスだった。ようやく、重い腰を上げて医者に行って、抗生物質を処方してもらってからは張れもひいてきた。ただ、何が原因であごの下が腫れたのかわからない。ーーーブログの更新が滞っていた言い訳。
- 2011/11/17(木) 02:49:14|
- 日常
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10月6日(木)香港は小雨
キャセイ航空で千歳から香港へ。同じアニタ・ムイ(梅艶芳)のバースデー・イベントに参加するSさんと同じ飛行機。が、席はバラバラ。私はあらかじめ決めてあるアイル席にすわる。楽しみにしていたエンターテイメントはオンデマンド形式ではない古いシステムだった上に画面が飛んでしまうので惨敗。午後11時前に宿に到着。Iさんに着いた、と電話連絡。
10月7日(金)晴れ
午前中はゆっくりしてお昼ごろから行動開始。まず、日本円を香港ドルに換金。一万円で千ドル以上になる円高さまさま。普段は買わないお土産にと奇華餅家のパンダ・クッキー、ジェニーズ・べーカリーの缶入りクッキーを買い、家に送る手配をする。いきなり歩きまわって、へとへと。夕方まで宿で休む。夕食はIさんSさんに、日本から着いたばかりのTさんも後から合流。そして、Iさんの家に行って、いままで買っていてもらったものを受け取ったり、清算をしたりする。今回は大きな買い物をしたので、換金したお金があっという間に残りわずかに。
10月8日(土)晴れ
油麻地のMTRで昨夜の三人と待ち合わせて楽富へ。この駅と直結しているショッピング・モールの一角でアニタが発起人となった「四海一心」のチャリティー・イベントの歴史をパネル展示しているので見る。昼食もこのモール内ですませる。それから、香港島に渡ってファンクラブ主催のビデオ鑑賞会へ。席は公平にチケットの番号順にすわる。93年に行われたチャリティー・コンサートだった。ファンと一緒に見るビデオは反応がみんな同じという一体感が味わえて楽しい。九龍サイドにフェリーで戻り、ちょっとショッピングしたあとSさんと別れる。ちょうど8時ごろという夕食タイムでめぼしい所は満員。やっと入り口が工事中で入りずらい分満員ではなかったベジタリアン・レストランに入る。
10月9日(日)晴れ
昨日と同じ油麻地のMTRでSさんTさんと待ち合わせて、ファンクラブのメンバーたちとともにポーリン(寶林)寺へ。東涌で合流してバスで山頂のポーリン寺へ行くのだが、私は激しく酔ってしまう。最悪の気分。車中から元寶を折るというアイディアはすごく良いのだが、私には考えただけで気分が悪くなる。2日間の寝不足がたたっている。山頂は寒いだろうと想像していたら、見事に裏切られてぽかぽか陽気。夜は昼間にMui Nation主催のイベントに参加していたIさんと合流してMui Nation(芳心薈)主催の食事とビデオ鑑賞会へ。ポーリン寺へ行った人たちから、どうしてこのまま彼らに同行しないの?と聞かれる。ファンクラブ側とMui Nation側に色分けされるような感じでイベントがあるので、特にどちらの側にも属したくない私たちは、ちょっと困ってしまう。アニタの珍しい映像に接するチャンスがこのときしかない私たちは、どこが主催しようと関係はないのだ。鑑賞会が終わって、先ほどの連中が集まっているゲイ・バーへタクシーで。住所をメモしていたのに、記憶が間違っていて、ちょっと迷ってしまう。思い込みが激しいとロクな結果にならない。12時を回ってみんなで「ハッピー・バースデー・トゥ・アニタ」と歌い、一時ごろタクシーで帰ってきた。
- 2011/10/19(水) 01:49:39|
- 梅艶芳
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報告することが多々あるのだけれど、とりあえず、今日は私の誕生日。
おねだりして、いただいたカード。(クリックすると大きくなります)

封筒の表書き

見たこともない豪華なカード

「t」のーがないのは急いで書いたから???

カードの裏。豪華さの説明が書いてありました。すべてハンドメイドだそうです。ギャー。
ありがとう!!!
- 2011/10/13(木) 16:18:40|
- 林青霞
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サザビースによるアニタの貴金属43点のオークションが無事終了した。結果は下のリンクで。
http://www.sothebys.com/en/catalogues/ecatalogue.html/2011/anita-mui#/r=/en/ecat.fhtml.HK0379.html+r.m=/en/ecat.list.HK0379.html/0/45/lotnum/asc/
アニタ・ファンがどのくらいセリ落とせたのかなぁ。
- 2011/10/05(水) 17:42:28|
- 梅艶芳
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12日はあいにくの雨で月が出なかった。13日も雲に見え隠れしていたが、ようやく、10時ごろになって、一日遅れの十五夜の月を観た。正確には十六夜かもしれないけど。
- 2011/09/14(水) 01:21:46|
- 日常
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方や2001年9月11日のアメリカ合衆国を震撼させた同時多発テロから、やは10年。
そして、2011年3月11日、千年に一度の大津波と大地震に見舞われた東日本大震災から、はや、半年がたった。人災と自然災害の違いはあるが、くしくも同じ11日。
生きている限り、この11日のことは忘れない。忘れられない。
- 2011/09/12(月) 01:28:37|
- 日常
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今や「作家」として活躍するブリジット・リン(林青霞)がブログを開設した。それも二つ。
http://weibo.com/brigittelin
http://t.qq.com/linqingxiavip
だが、悲しいかな中国語なので私にはさっぱりわからない。話せなくてもいいから読んで意味がわかるようになるにはどのくらい勉強しなくてはならないのだろうか。
- 2011/09/12(月) 01:18:04|
- 林青霞
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