ムゲン・スペース・メモランダム

一度ファンになると、一生付き合っていくのが私のファン流儀。言い換えれば、そういう人しかファンにならない。私の世界はムゲン・スペース。夢中になれるって、しあわせ。

Rest in Peace

 ラジオのニュースで、がん闘病中だったファラ・フォーセットが、今朝、亡くなったと言っていた。そうして、夕方、今度はマイケル・ジャクソンが2時15分に亡くなったと知った。
 いつでも、同じ時代を生きたスターの訃報を聞くのはいやなものだ。そして必ず、あの時の衝撃を思い出してしまう。そんなつもりは毛頭ないのに、あのショックはこんなものではなかったなぁ、と比べている自分に気がつく。だって、ファンだと言う自覚は全くなかったのだ。それなのに、まるで体の一部を切り取られたような鋭い痛みと喪失感に襲われたのだ。LAの時間で12月29日だった。
 あの世がどんどん賑やかになる。

追記: いまだにDVDコンバータをフックアップしていないのでテレビは見られないが、ラジオのニュース・ステーションでは一日中マイケル・ジャクソンに関するニュースで終始していた。ベルエアの借家近くからの中継、マイケルゆかりの人々のインタビューや追悼コメント、ファンの声、などなど、「キング・オブ・ポップ」の称号にふさわしい扱いだ。
 彼によって、MTVが躍進し、PV(プロモーショナル・ビデオ)が定着したといってもいい。ダンスも多大なる影響を与えた。私生活はどうであれ、彼が音楽界に残したものは大きい。2000年に入ってからの彼はスキャンダルにまみれ、亡くなったというニュースに、悲しみよりも、これで楽になったのじゃないかな、と思った。

 マイケルの急死によって、ファラ・フォーセットの死がかすんでしまった。これも、彼女の運命だな。
  1. 2009/06/26(金) 09:07:43|
  2. 梅艶芳
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デジタル放送開始 (USA)

 テレビがよく映らないために見なくなってかなりになる。家にあるのは古い型のテレビだしケーブル放送の契約をしていないから、一応、コンバータを買った。それもアメリカ政府が発行した40ドルの割引を使って(割引なしだと約50ドルプラス消費税9.25%)。さらに、アンテナも必要だそうなので一番安いものを買ったが接続していない。そうこうするうちに、13日からデジタル放送が始まった。試しにテレビをつけてみると、あれー、映っているじゃない??? 
 それはデジタル放送化の告知放送だった。LAにある9局のうちのローカル一局がご丁寧に英語とスペイン語のプログラムを交互に放送しているのだった。デジタル放送を見るには…と懇切丁寧に説明している。

 本当は今年の2月14日からデジタル放送化を実施する予定だったが、そのことを知らないアメリカ人が大勢いて、4ヶ月、実施を遅らせたのだ。それでも、まだ、3億人はデジタル化の準備をしていないのだそうだ。

 まぁ、なければないなりに生活ができるテレビ。そのうち、コンバータを繋げてみよう。
  1. 2009/06/15(月) 07:35:35|
  2. 日常
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六・四

 6月4日というと、89年の天安門事件を思い出す。あれから20年。もう、そんなに経ったのか。あの当時の私は香港映画もアニタ・ムイ(梅艶芳)にも興味がなかったし、偉そうな意見を言えるほど事件の背景に通じていなかったから、単なる傍観者でしかなかった気がする。それでも、学生らしき青年が戦車の前に出てよけようとしない姿が今でも鮮明に思い出される。あれは象徴的なシーンだったので何度も眼にしたからかもしれない。あのあと、彼はどうなったのだろうか?

 その後、天安門事件のドキュメンタリー映画を香港の映画祭で観たり、そのVCDを買ったりした。天安門事件とは89年4月15日に死去した元中国共産党総書記・胡耀邦(フー氏としか発音がわからない)の追悼に端を発している。学生や知識人たちが天安門広場に集まりだして追悼式を行い、それが次第に民主化要求運動へ変わっていった。学生たちは政府側との「対話」を要求しハンガー・ストライキをする。が、当局はそれには答えないばかりか戒厳令を強いた。そして天安門広場に座り込む学生たちを排除するために軍隊を使って武力行使したのが6月4日だった。何人がその犠牲になったのか、319人の死者という当局発表を信じるのは難しい。(注意:軍隊が天安門広場に居続ける学生や市民に対する強制退去と実弾発砲は3日の夜から始まったそうだ。)


 アニタを知ったことによってより、香港での反応を知った。当時の学生たちを支援するために大規模なデモが行われたり、ハッピーバレー競馬場で民主歌聲獻中華と題する12時間チャリティ・コンサート(5月27日)が開かれた。アニタはそのどちらにも積極的に参加しただけでなく、多忙なのにアメリカやカナダでの民主化支援コンサートにも参加しているし、さらに学生指導者たちの海外亡命を助成したと言われている。これらのことにより、アニタは当局からマークされ、上海で撮影予定だった『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(92)の主役を降りざるを得なかった。そして、彼女自身、93年の北京での減災扶貧音樂會というチャリティー・コンサートまで中国本土へ足を踏み入れることを拒否していた。

 2004年の1月12日に行われたアニタのお葬式には学生指導者の一人だったウアルカイシ(吾爾開希)が駆けつけている。4日、マカオから中国本土への入国をしようとして拒否されたが、アニタのお葬式のときは香港だったからか、特別に入国を許されたのだろう。

 90年の夏に行われたアニタのコンサートで、真っ赤なビーズの旗包を着て「血染的風采」をこみ上げる感情を抑えながら歌った映像が残っている。このとき、「龍的傳人」も歌ったそうだが、この映像は見たことがない。どちらも北京で民主化を叫ぶ人たちを支持する象徴的な歌なのだと思う。アニタが亡くなったあと、ようつべサイトに天安門事件のニュース映像にアニタが歌った「血染的風采」をのせたクリップが登場した。ココ

 因みに彼女は天安門事件を日本のホテルのテレビで見ていたという。民主歌聲獻中華が5月27日に行われ、たしか、同日か翌日の28日は仙台で「第三回 ドリームカップ」のカーレースが行われたはずで、そうなるとジャッキー・チャン(成龍)やアニタら大勢の参加者たちは日本へ午後の便で到着したのだろうか?民主歌聲獻中華の映像を注意深くみる(ようつべにたくさんアップされている)と、「ドリームカップ」に参加するスターは始めのほうにしか出てこない。当時は、香港ー仙台間に直行便があったのかもしれないが、27日に香港でチャリティ・コンサートに出て、更に仙台でのカーレースというのは無理だったような気がする。しかも前夜祭(アニタは参加していない)もあったというのだ。この矛盾と言うか時間的な謎にこだわっている私だ。と、ここまで書いて、手元に資料(といってもたいしたものではない)を箱に詰めてしまったことに気がついた。この「第三回 ドリームカップ」のチャリティは第一回、二回(いずれもサッカー対戦だった)、同様にテレビ放送されたそうだが、それを持っている人はいるだろうか?
 ただし、今回、民主歌聲獻中華の中で日本へ向かうスターたちのコメント映像が出てくるのを発見した。広東語がわからない私でも「日本」と言っていることはわかる。彼らは何と言っているのだろう?わかる人がいたら是非教えてほしい。ココ
  1. 2009/06/04(木) 09:39:33|
  2. 梅艶芳
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第33回香港國際電影節 2

4月9日(木) ブルガリア映画の『ZIFI』と韓国映画の『ROUGHT CUT』をみた。時差ぼけが直らなくて疲れているので、部屋に戻って30分くらい寝た。夕方、バスで湾仔のパシフィック・プレイスまで行って降り、アニエス・ベーのギャラリーで行っているフィルム・ワークショップ創立25周年記念展示を見に行った。バスを降りてから地図を片手にウロウロしてしまった。こんな所にあるのかぁ。展示のほとんどが映画のポスターでさすがに林青霞さん関係は私も持っているな、と思った。其の外では映画の小道具、『男たちの挽歌』の完成シナリオ、映画主題歌の楽譜や絵コンテも少しだけあった。30分くらいのフランスで製作されたらしいツイ・ハーク(徐克)のドキュメンタリーが上映されていたが、音響が悪くてほとんど聞こえなかったのは残念だった。サブタイトルはフランス語だったが、インタビューやナレーションは英語だったから。
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(撮ってしまってから「撮影禁止です」と注意された。どこにもそんなサインはなかったよ)

ここでIさんと落ちおい、タクシーで「サワディー・クラブ」へ行った。明日から、イ−スター・ホリデーが4日間あるせいか、先週よりもお客さんが多くて少し安心した。あとから、香港在住のアニタ・ファンのKYさんも合流した。レストラン内の「囍月」のデコレーションが模様替えしていた。
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(ここには、以前、アニタが表紙だった雑誌のコレクションがあった)

4月10日(金) 朝、テレビをつけると、ケーブル・チャンネル(宿で見られる唯一のケーブル放送でオーナーが映画のチャンネルに合わせていると見られる)で『斎公』を放送中だった。ラッキー。この映画の中のアニタ(観音菩薩の役)は始めと終わりにしか出演しないが非常に美しい。3時からインタビューをするので、それまでどこにも行かなかった。6時半からの『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ〜印度から中国へ〜』を見る。ちょっとダレるけど、まぁいいか。
4月11日(土)2時から「サワディー・クラブ」でアニタ・ファンの集まりがあるので行く。

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(ゲームに勝ち抜いた勝利者たちとその賞品であるアニタのレア写真)
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(参加者に一人だけ当たったアニタのサイン入り写真。もちろん、私には当たらなかった)

4月12日(日)ドイツと台湾の合作映画『GHOSTED(曖昧)』を見る。台湾の女性が叔父を頼ってドイツへ行き、女流映像作家と恋愛関係になるがまもなく事故死する…というストーリー。ウーン。ジャン・クロード・バン・ダムのセルフ・パロディといえる『JCVD』は結構笑えた。事務局のコンピュータでメール・チェックなどをしていると、「PLANET HONGKONG」の著者のデビッド・ボードウェルがやってきた。いつも映画祭会場のどこかで顔をあわせ、お互いに時間があると話し込んだりするのだが、ビデオ・ルームにばかりいたので今年は会わずじまいだった。ちょっと、立ち話。私の映画祭は今日でおしまい。彼は15日にウィスコンシンに戻るそうだ。彼のブログはココ
夕方から、再びアニタ・ファンの家にお邪魔する。広東語の「人(ヤンと発音)」という発音を何度してもダメだしされた。「ン」は口を閉じてはいけないそうだ。注意されればされるほど、口を閉じてしまう。筆談が一番手っ取り早いが、最近はコンピュータを使うので漢字が書けなくなってきた。
4月13日(月) イースター・ホリデーも今日でおしまい。テレビをつけたら『レッド・ブロンクス』を放送中だった。この中のアニタはとても可愛い。公開当時、個人的には彼女のアクション・シーンがなくて、映画館で見たときはがっかりしたが。Iさんのお宅にお邪魔して、そこから、食事に出た。いつもの香港のような蒸し暑さ。信和中心が近かったので行ってみると、なんと、日本製のDVDが廉価で売られている。ハリウッド映画だと15ドルからある。『インディ・ジョーンズ』のBOXセットが48ドル。ここ一年くらいでこういう店が急増しているそうだ。香港映画は40ドルから50ドル、中国語のサブタイトルがついていない日本映画だと15ドルくらいだった。これは良くないものを見てしまった。帰る前日でよかった。そうでなければ大量に…。
 夜は私が初めて香港にきたときに知り合いになったコニー・チャン・ポーチュウ(陳寶珠)ファンとの夕食。今年の初めに彼女の舞台があったそうで、彼らは何度か行ったそうだ。舞台のプロデューサーが「今年中にも再演しよう」と誘うと、コニーは「私のファンがお金を貯めるまで再演しない」と言ったそうだ。
4月14日(火)帰りの便は16時15分発なので午前中は家に電話をしたりしてゆっくりしていた。13時ごろエアポート・バスに乗ったが、すわると右膝に激しい痛みがある。ズボンのすそをあげてみると、膝の上にお供え餅が乗っかったように腫れている。なるべく足を伸ばして乗っていた。それからの顛末はすでに書いたので省略。ココ

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(お見苦しいとは思うが、これが問題の膝。腫れが引いて歩けるようになった15日)

 最後に、私は猫好きではないのだが、宿の猫はオーナーの息子さんが大好き。彼がシャワーをしているときは必ずそのドアの外で待っている。この猫もかなり老齢化している。
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  1. 2009/05/07(木) 08:26:51|
  2. 映画
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第33回香港國際電影節 1

 レポートと言っても、映画祭の主要イベントは前半の3月中にすでに終わっていて、私が行った4月1日から最終日の13日まで、セミナーにも行かず(行ってもほとんどが広東語なのでよくわからない)、ひたすらビデオ・ルームでDVDを見ている毎日だった。今年は映画祭の仮の事務局が九龍ステーションに隣接するWホテル内だったので、昨年のハッピーバレーにあるホテルとは違って通うのも便利だった。

3月30日 キャセイ・パシフィック航空の23:50発の飛行機で一路香港へ。LAからの直行便と言っても、途中、猛烈な向かい風のため、韓国の空港で(名前を忘れた)給油。サービスはあまり良いとはいえなかったが、飛行機がオン・デマンドでエンターテイメントを楽しめる新しい機種だったので、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ主演の『RIGHTEOUS KILL』、『容疑者Xの献身』、ドニー・イェンの『畫皮(THE PAINTED SKIN)』、ニコラス・ツェ主演でニック・チャンが今年の金像奨で助演男優賞を受賞した『証人(THE BEAST STALKER)』、アーロン・クォックのコンサート、それにアニタとレスリーの『ルージュ』を見てしまい、寝そびれてしまった。
4月1日(水) 8時30分、予定よりもかなり遅れて香港着。荷物がなかなか出てこなくて30分以上も待った。宿に着いたのが、10時ごろ。そのとたん、日本から来ているKさんから電話が来る。荷物を部屋に入れてから、Kさんに会いに行った。機内食をしっかり食べたにもかかわらずマックで食事。寝不足でしょぼしょぼする目。Wホテルが九龍ステーションと隣接しているので、チムサチョイの主要ホテルを巡回している無料バスを教えてもらいペニシラ・ホテル横のバス停で待つ。かなりぐるぐる回りながら九龍ステーションに着き、事務局にたどり着いて映画祭のレジスターをした。そこからは、ミニバスで宿まで戻ってきた。
 銀行へ行って換金して、宿代を前払いして、部屋で休んだ。香港は湿気がないのはいいが、風が冷たくて寒い。長袖のシャツを持ってこなかったのは失敗。レスリーの追悼会が今年もマンダリン・ホテル向かいの公園で行われ、Kさんからの頼まれ物を持っていく。疲れているので、追悼会が終わったら部屋に戻った。
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(記者やカメラマンが見ている前での追悼ってなんかヘン)
4月2日(木) 時差ぼけなので早朝に目が開く。9時過ぎにMさんから電話があり、Oさんと飲茶をするので来ませんか、とお誘いを受ける。その前に台湾の林青霞ファンに送る私の本を出しに郵便局へ。船便だと一ヶ月はかかると言われて航空便にしたが、これだと足が出てしまった。Mさんとの待ち合わせ場所へ行く途中で、昨年のアニタ・ムイ(梅艶芳)追悼会で知り合いになった人と連絡がついて、今夜、「サワディー・クラブ」で会うことになった。飲茶の後、Mさんに重慶マンション内のインド映画DVDを売っているお店へ連れて行ってもらって、シャー・ルク・カーンの作品を2本買う。夕方、私の英語と台湾版の本を持って、「サワディー・クラブ」へ。アニタが亡くなってからのファンと行っていたが、彼女や一緒にいたお姉さんや友人はレスリー・チャン(張國榮)のファンだとわかった。ウィーク・デーだからかもしれないが、レストランには私たちを入れて3組のお客しか来なかった。心配。
4月3日(金) 10時すんでからバスで九龍ステーションまで行き、ビデオ・ルームで『メメント』のインド版という『GHAJINI』を見た。見終わると、日本から今着いたとTさんから電話が入り、月曜日のビデオルームの予約をして宿に戻った。Wホテルがある「ELEMENTS」からジョーダンまで歩いていけるよ、とエレベーターに乗り合わせたホテル従業員から聞き、ゆっくり歩くことにした。香港でいつもお世話になっているIさんのお宅へ行き、そこから近くのレストランへ行ってTさんも交えて夕食。不況なので、香港ではレストランもお客が少なくて、ハトのローストが1ドルと言う所もかなりあるそうだ(食べなかったけど)。私だけ先に失礼して、文化中心で韓国映画の『THE GOOD, THE BAD, THE WEIRD』を見た。キムチ・ウェスタン。イ・ビョンホってものすごいナルシストなんだぁ、と思った。鍛え上げた肉体美を見せるサービス・カットあり。でも、ソ・ガンホが得している作品。
4月4日(土) 香港では祖先のお墓参りをする日。お昼に、先日のMさんと香港在住のKTさんと会いタイ・レストランで食事。今回はタイめしに縁がある。夜はTさんとベジタリアン・レストランで食事。LAで知り合いだったロバートが入ってきてびっくり。
4月5日(日) Tさんとアニタ・ファンの家へお邪魔する。
4月6日(月) 雨だったので、先に来たミニバスでWホテルへ。『文雀』、『アキレスと亀』、『その木戸を通って』(93年市川昆監督作)、マレーシア映画『TALENTIME』を見る。夜も、文化中心へ見に行こうと思ったら、面倒になってやめた。
4月7日(火) 段々慣れてきて、バスに乗っても終点まで行かずに降りてWホテルへ行ける様になった。まず、スリランカ映画の『Machan』。ハンドボールのナショナル・チームだと偽ってドイツに不法入国する男たちの話。実話に基づくそうだ。次はミャンマーのドキュメンタリー・ビデオ『BURMA VJーREPORTING FROM A CLOSED COUNTRY』(デンマーク)。軍事政府が市民に弾圧をを加える様を隠しカメラで映しつづけたミャンマーのジャーナリストたち。映像はインターネットでヨーロッパへ送られ、そこで編集されたそうだ。日本人カメラマンが射殺される瞬間もはいっている。もう一本はイギリスで製作されたドキュメンタリー『ROUGH AUNTIES』。南アフリカのダーバンで活動する「ボビー・ベア」というNPO組織で働くカウンセラーたちの話。彼女たちは性的虐待を受けた少女たちを主に救っている。夜は日本映画の『トルソ』を見る。
4月8日(水) 今日はカンヌ映画祭40周記念のドキュメンタリー『40×15 FORTY YERAS OF DIRECTORS' FORTNIGHT』、ハンガリーからの亡命者でのちに世界的な名シネマトグラファーになった親友二人を描いたドキュメンタリー『NO SUBTITLES NECESSARY: LASZLO & VILMOS』。1香港の天才的な音楽家、KJの17歳の思いを描いたドキュメンタリー『KJ』。他に『青い鳥』と韓国映画の『ANTIQUE』をみた。疲れた。カップメンの夕食。
  1. 2009/05/07(木) 08:06:38|
  2. 映画
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ロードショーがネット上で復活

 私もちょっとだけお世話になったことがある集英社の「ロードショー」が、ネット上で復活していたことを、すっかり忘れていた。昨年末で休刊になってしまった映画誌「ロードショー」がそのまま消えてしまうのは惜しいと思っていた。本や雑誌が売れなくなって、どこの出版社も大変のようだが、今やサイバー・ワールドの時代。ネット上での復活を密かに希望していた私だった。どうやら、集英社としても初の試みらしい。
 友達や知り合いのブログが中心だけれども、ちょっと、覗いてみて下され。ココ
  1. 2009/05/05(火) 14:46:10|
  2. 映画
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メイ・デー

 昨日(LA時間)はメイ・デーで、医者との予約の2時半までに行けるかどうか怪しかった。バスに乗ったときはメイ・デーのことを全く考えていなかったのだ。が、バスがいつもと違う道を行くので、アレ、これはおかしいと運転手に聞くと、今日は従来の終点には行かないと言う。仕方がないので、次の乗り換え地点まで歩き、その乗り換えたバスも通常のルートを通らずに走ったが、リトル東京あたりから普通のルートに戻った。結局、10分ほど送れたが医者へ行けた。が、帰るころにはデモも交通規制も終わっているだろうと軽く考えていたら、ヘリコプターがぶんぶん飛んでいて、どうやらまだまだ交通規制が終わっていないとわかった。たまたま、友人の車で送ってもらえたので事なきを得たのだった。

 ところで、膝だが、今回も血を抜いた。12ccあった。医者は抜いた血が黒ずんでいるから古い血で、私の血に問題があって(血小板の数値が低いというようなこと)、固まりずらいのではないかという。それで、血の検査をすることにした。膝を曲げ伸ばしするときに走った痛みはかなり良くなったから少しは快方へ向かっているのだろうが、血を抜いて、アイシングとテーピングで止血できるものができないと言うのは、どこかがおかしいのだ。もし、血小板が少ないのであればトランスフージョンしかないのだそうだ。検査の結果によっては日本へ帰って治療するしかないだろう。

 一日たった現在、やはり内出血している。膝の上がプニュプニュしているのだ。一体、どうして血が止まらないのだろう?
  1. 2009/05/03(日) 15:49:39|
  2. 日常
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今度は膝

 香港から予定より2日遅れてLAに戻ってきた。それと言うのも、今度は右膝が内出血で腫れて歩けなくなったからだ。

 昨年の8月から、散々な目にあっている。引越しの整理をしだすと、それを阻止するような怪我をするようだ。今回は膝。腫れがひどくなると、皮が張って曲げるとお皿のどこかを圧迫して非常に痛くなる。どうしてこうなったのかはっきりわからないが、先月の13日ごろに足を踏まれて、大地に文字通りばたんと倒れたことがある。ココそのときに、ものすごい痛みを感じたが、ゆっくりと起き上がると起きれて、膝もちょっと擦り傷があるくらいでなんともないようなので安心した。歩くには問題がなく、膝のお皿を押してみると、擦り傷の左隣を押したときに飛び上がるような痛さを感じたが、そこに触れさえしなければなんともなかった。だから、とりあえず冷やして、腫れもぜず、あざにもならなかったのでそのままにしていた。手首を医者に持てもらったときも、膝は見てもらわなかった。その必要を感じなかったのだ。そして、香港へ。

 香港へ行って、たしかにいつもよりも歩いた。歩いた夜は膝が痛かったが、これはよくあることなので気にしなかった。宿のベッドは窓際にあって、窓の外を見るときに、なんどか膝歩きをしたことがある。それも、かなり気をつけて、右膝はあまりつかないようにしてのことだ。
 異常を感じたのは、14日、香港からLAへ戻る日だった。半ズボンのすそが膝に触れるとヒリヒリするなぁと思った。が、特に注意はしなかった。なんとなく、両膝の形を比べると、右のほうがちょっと右へとがっている気がしたが。
 ともかく、1時半のエアポートバスに乗ってから右膝がひどく痛むのに気がついた。ズボンを捲り上げてみると、膝頭がぽっこりと腫れている。しかも、ジンジン痛い。足を伸ばしていると楽なのでずっとそうしていて、降りるときに、ワッ、さっきよりも痛いと持った。足を引きずりつつチェックインの列に並んでいた。カウンターについて、手続きをしていると、耐えられない痛さになった。少しでも膝を曲げると激痛が走る。これはだめだと観念した。私は痛さには耐えられるたちだが、これは歩けない、と思ったのだ。それで、カウンターの女性に「空港に医者はいるか?」と聞いた。係りの女性ははじめ冷たい感じで、「医者はいま空港内の往診へ行っていて30分くらいは戻ってこないそうだ。それでも医者が必要ならば、この便には乗れないかもしれないがどうするか?」という。ちょっとこれを見て、と膝を見せるとポッコリと腫れた膝をみて、「それは、大変。車椅子を用意するし、夜の便に変えたほうが安全だと思う」と言った。
 男性職員が車椅子を押してくれて、空港内のクリニックへ行った。へぇ、3階にあるんだ、と思った。クリニックへ入ってパスポートなどを見せていると、医者が戻ってきて、すぐに見てくれたが、「予定を延ばして、2,3日香港で休むことを勧める」ということだった。骨には異常がないようだし、お皿のところが内出血しているから、冷やして安静にするのが一番だ、と言うのだ。一応レントゲンを撮って関節に異常がないことを確認した。原因はよくわからないが、軽く膝をぶつけても内出血はおこるものだという。そういえば、バスに乗るときにスーツケースを膝で押し上げる様にしたなぁ、と思った。ともかく、包帯を巻いてくれて、氷を入れた袋をくれた。もし、2.3日安静にしていても腫れが引かなければ専門医に見てもらったほうがいいし、飛行機に乗ったら氷で膝を冷やすようにと言われた。同時に、包帯で腫れを抑えることも言われた。関節内の内出血だと膝の裏が腫れるのだそうだ。だから、私のは本当に膝頭の皮下内出血というわけだ。

 お金を払って、再びキャセイのカウンターに戻り、カウンターの横にある控え室というか単に椅子が並んだところで友人が来てくれるのを待った。そこで、休んでいるだけで腫れは少し引いて、痛みも薄らいだ。チェックアウトしたゲストハウスに電話をして、運良く私がいた部屋があいていると言うのでとりあえず2日分の予約をした。友人が6時半ごろに来てくれて、食事をして、2日後の便の予約をした。それ以降になると満席で21日になる、というからだ。ゲストハウスでは氷をもらい、夜通し冷やした。
 翌15日は、腫れもかなり引いて歩くのも楽になった。念のため、近くの整形外科医に見てもらったが昨日と同じことを言われただけだった。腫れたことろを抑えるためにサポーターのようなものをもらった。包帯だとそれがうまく行かずにほどけてしまうからよかった。さらに、フィジカル・セロピストに機内での足の運動を聞いた。氷と運動で、たまった血が下へ降りていかないようにするのだとか。後はずっと部屋にいて、夕食だけ友人と向かいのレストランへ行った。
 16日も食事以外は部屋にいて、夜7時半くらいのバスで空港へ向かった。タクシーをつかっても、エアポート・エクスプレスに乗っても、だいたい歩く距離が同じだから、バスで十分だと思った。そのくらいよくなっていた。カウンターに並ぶ前に、先日私を医者へ連れて行ってくれた男の人がいて、すぐに、別のカウンターへ連れて行ってくれた。車椅子でゲートまで行ってくれるというので、そのサービスを使うことにした。セキュリティも出国手続きも車椅子に座ったままで、特別なルートを通ってゲートへ行った。機内では常に氷で冷やしていた。LAにつくと、再び、車椅子。実に30くらい待っていたのには驚いた。ここでも、全て車椅子に乗ったままでほとんど待たずに入国手続きが済み、ポーターもついてとんとん拍子で外へ出た。ただし、飛行機が猛烈な追い風で1時間速く着き、しかも入国手続きに時間がかからなかったから、迎えにきてくれる友人を一時間くらい寒空の下で待った。

 膝の腫れは悪化はしないものの一向によくならず、21日に整形外科へ行った。たまっている血を注射器で抜いたが(21ccあった)、まだ全てが抜けていなくてプヨプヨしている。それとも、かすかに出血が続いているのだろうか?明日、再び医者へ行くが、日本へ帰って治療したほうがいいだろうか?

追記:24日、再び医者へ行き、膝から血を抜いた。今回はちょっと搾り出す感じもあって結構痛かった。13ccの血を採った。さらに幅広のバンデージを巻いて、これで出血が止まるはず、とのことだった。2週間様子を見ることになった。どうも、あまり血がサラサラになるのは良くないらしく、ニンニクをたくさん食べたりしないようにと言われた。そうなるとブロッコリーも納豆もだめかぁ。ともかく、出血がとまればいいのだ。

  1. 2009/04/24(金) 07:22:43|
  2. 日常
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今夜から香港へ

 今夜の直行便で香港へ行きます。コンピュータを持っていかないので、見ることはできますがが日本語でアップロードができません。

 しっかし、最近のブリジットは映画祭関係のイベントにも積極的に出席しています。信じられないくらい。

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 ↑映画祭の特別上映作品『東邪西毒 終極版』の上映にも出席。
  1. 2009/03/31(火) 10:19:58|
  2. 日常
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ブリジット・リン(林青霞)がエッセイ集を出版

 去る21日、台湾の台北市でブリジット・リン(林青霞)のデビュー作『窗外』が上映されて、ブリジットが解説のようなことを話して観客からの質問に答えたそうだ。そのニュースはココ。どういういきさつで、その催しがあったのかわからないが、650人が集まったそうだ。今や、映画の権利を持っているブリジットだから、台湾では一般公開が禁止されたこの作品を、このような形で特別上映できるのだろう。それに、上映禁止を訴えた原作者のチョン・ヤオ(瓊瑤)とも親しいし、争点となったチョン・ヤオの「母親が映画を上映すると自殺恐れがある」は今となっては無意味だろうし。
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 ともかく、質疑応答の中で、j彼女はエッセイ集が今年出版されると話したそうだ。これまでに、何度か「明報周刊」にエッセイを書くという話があって、どうなっているのかと思っていた。私と会っているとき、自分の気持ちを書くと考えがまとまる、というようなことを話した覚えがある。例えば、ご主人とけんかをして、そのときの気持ちを書いてあとでファックスしたりすることがある、といっていた。単純に、心に浮かんだことを書き留めるときがあって、それをヨン・ファン(楊凡)に話したら、「林青霞」というネーム入りの原稿用紙を作ってプレゼントされた、とも話していた。

 会場は老若男女でいっぱいだったとか。いまでもブリジットの人気は衰えないようだ。でも、当然ながら、このイベントと私の本「永遠的林青霞」とのタイアップなどはなく、私としては多くの人が読んでくれるといいなぁと願うだけだ。

 このところブリジットは大忙し。23日は香港へ戻って第三回アジア映画賞のプレゼンたーをつとめ、多分、25日は香港国際映画節の中の「電影工作室創立25周年」というイベントのオープニング・セレモニーにも参加した。どちらも公私ともに親しいツイ・ハーク(徐克)とシー・ナンサン(施南生)夫妻のためのイベントだからか。同行しているのはティ・ロンとエイミー・タン夫妻。
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 子供も大きくなって学校へ行くようになったからか、ご主人との別居が本当で時間的に自由になったのか、公の場での登場が多くなったブリジット。以前は、「引退したとはいっていないけど、映画に出なければ同じことでしょ。主人は映画に出るな、といったことはないけれど、妻が家にいて生活をエンジョイすることを望んでいると思うの。私は主婦よ」と言っていたのを思い出す。最近の露出ぶりはいよいよもってカムバック近し、というところか。

 
  1. 2009/03/28(土) 08:06:20|
  2. 林青霞
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『東邪西毒 終極版 (ASHES OF TIME REDUX)』

 今年の香港国際映画節で『東邪西毒 終極版 (ASHES OF TIME REDUX)』は3月30日に一回だけの上映。4月1日から行く私は見ることができない。初見の映画はなくべく大きなスクリーンで見たいのだが、仕方がない。それで、つい先日発売になったDVDを買った。早速見た。う〜ん、ストーリーがわかりやすくなってはいるが、前のほうがよかったかも…。

 DVDには他にウォン・カーワイ(王家衛)のインタビューがついていて、それによると、この『終極版』はディレクターズ・カットみたいなものだとわかった。94年当時、ベネチア映画祭に間に合わせるために編集を急いだことと、フィルムを預けていた会社が倒産するというので、あわててフィルムを回収したのを機に新たに編集を手直ししてマスターを作った、ということだ。そのために、世界中(これはややおおげさ)のチャイナタウンにあるフィルムを求めて旅したという。

 作品中、ブリジット・リン(林青霞)は国語を話し、あとの出演者は広東語だったと言っていた。香港版のLDを買ったとき、アナログの国語版は確かにブリジットの声だった。が、日本の上映でも東宝から発売されたLDでも、香港の映画祭で見たときも、広東語版だった。それが、『終極版』のDVDは撮影されたときのまま収録されている。

 今回の香港での上映は見られないが、とりあえず、『終極版』を見たことにしよう。
  1. 2009/03/21(土) 14:05:44|
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 かつては、「スクリーン」や「ロードショー」などにハリウッド映画の記事を書いていたライター。あるときは[AT],あるときは[ブリジット・ファン]、あるときは[アニタ・ムイ・ファン]と、・・・つい、その場の思いつきでHNが増えてしまったが、これからはfanfunfuan。仁侠映画、林青霞、ジュリー・アンドリュース、山口百恵さんたちは私の「ファン殿堂入り」した人たち。現在は、亡き梅艶芳(アニタ・ムイ)さんに夢中。因みに、写真はアニタです。
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