今日から明日にかけて、上海にアニタ・ムイ(梅艶芳)ファンが終結するはずだ。現地時間の7月18日は、アニタにとって、キャピタル・アーティスツ(華星唱片)が主催した歌手コンテストでチャンピオンに輝いた日なのだ。この日を境に、アニタは本格的な歌手契約を結び、香港エンターテイメント界への一歩を踏み出した。それを記念したデビュー26周年のファン・イベントが、18日の夜から週末まで行われる予定だ。と言っても、ファンクラブの正式なイベントではない。
アニタのファンクラブは会長の意思によって、アニタの死後、新しいファンをメンバーに加えない方針を貫いている。そこで、香港のアニタ・ファンの有志が集まってMUI NATION (芳心薈)を立ち上げたのが昨年の春。10月には25周年記念の展示をアニタの誕生日にあわせて開いた。今年は中国本土にいる(主にアニタが亡くなってからの)若いファンが集まりやすい上海でこの日を祝うことになった。
昨年はファンクラブが行った25周年記念イベントに参加したが、今年はパス。一人で、アニタのDVDでも見て過ごそう。
ところで、7月19日はアニタのボーイフレンドだったMKの誕生日。こういうものが発売されるそうだ。
ココ。
- 2008/07/17(木) 15:08:18|
- 梅艶芳
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最近、アニタ(梅艶芳)のことに余り触れていないので、ジャッキー・チェン(成龍)とのデュエットでも聞いて下され。
ココ。アニタとジャッキーはコンサートやチャリティ・イベントなどでデュエットをしているし、レコード吹き込みもしている。この「嵐になれ」はジャッキーの日本限定発売アルバム「Shangli-la」(86)のなかに収められている。広東語の「纒綿千遍」の日本語カバー。かなり好きで、よく聞いている。
- 2008/07/01(火) 15:13:42|
- 梅艶芳
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紅館、紅[石勘]香港体育館、とも言われる香港コロシアムが改装のために2009年まで閉館したそうだ。日本の武道館と違って、コンサートを開くための会場として83年の4月に完成した香港コロシアムは約12000人を収容できる。ここで演唱會を開催するのが歌手のステータスになった。アニタ(梅艶芳)は生涯で合計147回のソロ・コンサートを開いた。亡くなる一ヶ月半前に最後のステージに立ち、ファンに別れを告げた。彼女よりもコンサート回数の多い歌手がいるが、そのことで伝説的なコンサートになった、と思う。
アニタのファンという自覚がなかったから、私は95年と2002年のコンサートしか行ったことがないし、出待ち、入り待ちをしたり、拝神を見たこともなかった。ファンにとっては、ステージ上以外で、ナマのアニタと接することができたのはコロシアムのイエロー・ゲイトだったかもしれない。
私はコロシアムに特別な感慨を持っていない。コロシアムそのものよりも、「コンサートの父」と呼ばれるチョン・イウウィン(張耀榮)とコロシアムの関係が気になる。アニタのコンサートのほとんどを彼が手がけているし、彼の事務所にはコンサートのテープがあるから。実は、それが最も気にかかる。もうちょっとのところで、あのテープを借りられたのに…。縁がなかったのだろうか。こえからもないのだろうか。
コロシアムのリニューアルのニュースにこんなことを考えたのは私だけだろうなぁ。
- 2008/06/22(日) 16:09:48|
- 梅艶芳
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いくら中国語が分からなくても、このくらいの見出しはわかる。これは良いニュース!
ココ まぁ、彼らのことだから懲りずにいろんな人をこれからも訴えると思うが、それはただただ弁護士を儲けさせるだけだと気がつかないのだろうか?今回の敗訴で、膨大な弁護士料をどうやって払うのだろう?そんなの関係ない、けど。
- 2008/06/16(月) 15:54:33|
- 梅艶芳
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5月24日か〜26日まで3連休だったので、友人とシン・シティ(ラスベガス)へ行ってきた。連休ということだけではなくて、大学が夏休みに入った学生たちが多くいたように思う。ともかく、若い人たちが多かった。
泊まったホテルでは夜になると、ラウンジでピアノの弾き語り+漫談のような無料のショウがある。スロット・マシーンで遊びながら聞いていた。テンポの速い曲はよかったのだが、この人がエリック・クラプトンの「WONDERFUL TONIGHT」を歌ったときは信じられなかった。こんなに下手に歌えるものか…と思った。まるっきり、詞の内容はムシでただ歌っているだけだから、初めは何を歌っているのかわからなかったほどだ。
この歌をアニタ(梅艶芳)は2002年の極夢幻演唱會でワン・コーラスだけ歌った。彼女が英語の詞の歌をうたうのは、若い頃にチャリティ・ショウのフィナーレなどで数人の歌手たちと一緒に歌うことがあったが、キャリアの後半になってからはほとんどなかった。たった、ワン・コーラスだったがアニタの「WONDERFUL TONGIHT」はとても情感がこもっていて上手いと思った。
同じ歌でも、歌の詞を伝えようとするかしないかで、歴然とした差ができる。デビューして2年ごろにアニタはアトランティック・シティのカジノのラウンジで歌ったことがあるらしい。そのときは広東語の歌だけをうたったのかぁ。
- 2008/05/29(木) 13:06:24|
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ミャンマーのサイクロンといい、四川省の大地震といい、どうも地球が人類に怒りをぶちまけているような感じだ。詳細がわかってくるにつれて、悲惨な現状が想像を絶するものだと思い知らされる。心から被害にあわれた方たちのご冥福を祈る。
こういう天災が起きたとき、アニタ(梅艶芳)がいたなら真っ先にチャリティ活動を提唱して、先頭に立って寄付を集めただろうなぁと思う。困っている人や恵まれない人を見過ごすことができないアニタだった。その人たちのために、助けを差し伸べなければ気がすまない人だった。チャリティ活動で、アニタの姿が見えないときはなかった、と言っていい。
一般的に言って、香港はチャリティ活動が盛んだ。スターや歌手たちはひとつになって、コンサートを開いたり、寄付金のためのレコーディングをしたり、チャリティ活動に参加している。そうそう、スター総出演の『豪門夜宴』という映画もあった。その点、日本は遅れている気がする。
- 2008/05/15(木) 06:27:55|
- 梅艶芳
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5月11日は母の日。私は改まって、母に感謝の言葉を述べたことがない。何となく気恥ずかしいからだ。私のうちではプレゼントのやり取りは子供の頃に終わってしまったので、花さえも贈ったことがない。母と私は考えかたが全く違うし、生き方も違う。長年の間に、お互いを受け入れるしかないと悟ったから、今では、意見の違いがあっても、仲良くしている。とことん突き詰めて分析すれば、私と母は全く違う人格なので、妥協して生きていくしかない。だが、そこには親子という肉親の「無償の愛」も確実に存在する。そのお陰で私はアメリカで自由に暮らすことができたし、夢だった本も(自費)出版することができた。
このところ、アニタ(梅艶芳)の遺書をめぐっての法廷のレポートを読んでいると、アニタは肉親の愛にも恵まれなかったのだなぁと思う。アニタを生んだ母親は娘が残した財産は全て自分が貰う権利があると考えているらしい。その財産を残すために、娘がどんな思いをして生きてきたのかは関知しないようだ。権利だけを考えれば、確かに生みの親はその子に配偶者や子供がいない限り全財産を譲り受けられる。だが、アニタの場合、彼女は母親が生存する限りその生活費は毎月供給するが(初めは月に香港63000ドルで今では120000ドル)、残りの財産は彼女があげたいと思う人や団体に行くようにという遺書を残した。つまりは、これがアニタの母親に対する思いの表れだろう。子供としての義務だけは果たす、ということだ。それ以外に母親はアニタの生命保険なども受け取っているから生活に困ることはない。
骨肉の争いは他人には分からないところがある。アニタの場合は有名人だったから、母との関係についてかなりの部分が報道されているし、アニタも率直に認めている。つまり、アニタと母親は金銭的な問題があったりして、うまくいっていなかった。アニタは母親の作った借金や長男(アニタの兄)の保障人にになって作った負債を肩代わりしたとか、お互いに口も聞かない時期もあったとか、それを反省して時々は電話連絡をするようになったとか。母は誕生日に高価なプレゼントを貰ったとか、毎日、漢方のスープを作ってアニタの家に届けている、という報道もあった。親子の情、というものはそこには出てこない。生んで育てた、とうことが愛情なのだろうか?それは親としての義務だろう。愛情は義務とは違うはずだ。今こそ、母としてアニタの遺志を尊重してほしい、と望むだけムダなようだ。目の前にぶら下がっている大金に目がくらんでいる。もし、勝訴したとして、今までの弁護士代を払って、税金を払って、実際にいくら手に残るのか、とても知りたい。この世に正義ってあると思う。
- 2008/05/12(月) 09:27:10|
- 梅艶芳
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4月15日からアニタ(梅艶芳)の母と兄の梅啟明が起こした訴訟についての審議が始まった。私の理解で要約すると、彼らはアニタの遺書は彼女がその内容を明確に把握しないまま作成しサインをしたものだから無効である、と訴えたのだ。これによって、今まで、あまり知らされなかったアニタの「最後の一ヶ月」の状況が白日の下にさらされてしまった。私はアニタの遺書が有効か無効かよりも、このことに心が痛む。
遺書は故人の遺志だから、尊重されて当然であるし、されるべきものだ。しかし、現実はその遺書を作成したときの状況によって、故人の遺志が尊重されないことが多いそうだ。遺書は法的な手続きにそったものでない限り有効にはならないからだ。普通の遺書は裁判によって破棄される可能性が高い。
アニタは生前から自分の母親にたいして子供としての義務と責任を感じていた。しかし、それ以上のことは、色々な経緯から、感じられなくなっていたようだ。特に、金銭管理を任せられないと知っていた。だから、財産管理は専門家を雇って、その人たちにしてもらうように遺書を残した。彼女の直接の心配は、もし、法で決められた財産が母親に渡れば、その大半は兄の梅啟明が使ってしまうことだっただろう。それだけは、絶対に避けたいことだった。アニタは兄の梅啟明から煮え湯を飲まされていたし、そういう事情があっても母親は兄の言いなりだったから。事実、アニタが亡くなって逃亡先から舞もどった長男家族を母親は養っているそうだ。その毎月の経費はアニタの遺産から支払われている。彼らは、アニタを「金がなる木」としか考えていないようだ。
もし、この裁判でアニタの遺書が無効になった場合、あちらの世界に引っ越してしまったアニタは悲しむだろうか?生前にできる限りのことをして旅立った彼女は、もう、こちらの世界のドロ沼のような状況には関知しない気がする。血と汗と涙で残した遺産であっても、今のアニタは達観していると思う。
それにつけても、病状の悪化と投薬の作用でアニタには正確な判断力がなかった、という争点は、やはり故人を冒涜していると思う。アニタの母親や兄はどこどこまでも見下げた奴等だ。
- 2008/04/26(土) 18:18:35|
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香港で購入した『川島芳子』のDVD/VCDを札幌の自宅でちょっとだけチェックした。両親が寝てしまってからしか、DVDプレーヤーを使えないので、そうなってしまったのだが、今回買ったDVD/VCDは、今までに発売された物と少し違っていた。
注目のラストは主題歌が流れているものの、処刑されてから約10秒あまり青いスクリーンだけの画面になるのは同じだった。つまり、サルを肩にのせて、ネオンがともる渋谷の町を歩く芳子…、というシーンはない。が、映画の始めに芳子が中国の警察か軍部の公安かよく分からないが、ある屋敷に入って、芳子を見つけるシーンがあった。そのときに、彼女のペットのサルが撃たれて死ぬ。それと、「1940年松本」というサブタイトルが出て、松本の養父の家にいる芳子のシーンがあった。
過去に発売されたこの映画のDVD/VCDは全てLAにあるので、帰ったら早速調べてみようと思う。ただ、この映画を何度も見たというファンに聞くと。少なくても、ファースト・シーンは今までのDVD/VCDにはない、という。
私は渋谷のシーンがあるものがディレクターズ・カットだと考えていたが、それが分からなくなってきた。色々なバージョンを撮ったのだろうか?何のために?謎は深まる。
追記:やはり、JOY SALESバージョンは2つの新しいシーンが入ったDVD/VCDだった。(4月21日)
- 2008/04/18(金) 16:45:31|
- 梅艶芳
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