まるで毎日蒸し風呂の中にいるような香港から涼しい札幌へ来ています。もう少し、時間があるときに香港での出来事などを書きます。とりあえず、香港の蒸し暑さにサバイブしましたことをお知らせします。
それから、18日、香港の空港でというかシャトル・トレインの中で「グラスホッパー」の「他人」と遭遇しました。彼も日本へ行くとのことでした。でも、その当日が師父・梅艶芳(アニタ・ムイ)のデビュー25周年にあたるとは知らなかったようです。この日は、おそらく、ファンだけが祝う日、なのでしょう。
- 2007/07/20(金) 16:43:25|
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また、台湾の出版社から連絡が入った。会社の弁護士が林青霞(ブリジット・リン)から出版承諾のサインかそれに近いものをとった方が良い、というアドバイスを受けたそうだ。そういうことは、私と契約を結ぶ前に考えるべきではなかろうか、と思う。
何でも、ICON COPYRIGHTとかいうものがあって、ある有名人が台湾のファッション雑誌が載せた写真について訴訟を起こしたのだとか。それで、この出版社もブリジットの本を出すなら本人に許可をもらったほうが良いだろうということらしい。
私としてはできるだけ法に触れないように注意して書いた本だ。本の98,99ページにあるように、ブリジットからちゃんと本を出す許可を口頭でもらっているし、彼女のほうが「私の本は日本へアメリカで出版するよりもアジアで先に出したほうが良いのではないか」と言っているくらいだ。といもかく、私は出版の前に原稿を見せてほしいという約束も果たして、彼女の望みどおりに書き換えもして出版したのだ。そのときの会話、というかインタビューはすべてテープにとってあるし、ブリジットに限らず、相手が言わなかったことは何一つ書いていない。
ブリジット以外の人たちの部分も、住所がわかる人には原稿を送って直しがあるかどうか聞いている。返事がなければ、許可したものとみなしてきた。
出版社との契約書には「出版社は原文に忠実に翻訳し、著者の許可なく削除したり加えたりしない」ということと「出版前に翻訳原稿を著者にみせて許可を取る」という項目を入れた。この二つがちゃんと守られれば問題はないはずだ。前者だけでも守ってくれていれば…。
出版社ならびに編集者が翻訳版についての契約書をどこまで真剣に考えているのかわからないが、今のところ、著者の権利のことはあまり頭にないようだ。私も容認している、というか、ちゃんとした翻訳本が出てほしいだけだから、静観しているだけといったほうがいい。
(このあたりのメンタリティに関しては、正直に言ってちょっとわからない。読者にアピールするためにちょっとくらい変えてもいいじゃないか、変えたほうが売れるから、とか、よりわかりやすいように変えただけ、などと当たり前のように考えているかもしれない。)
せっかくここまでこぎつけたのに、きちんとした翻訳本が出なかったら落ち込むだろうなぁ。デタラメの翻訳本が出る方がもっと落ち込むだろうか?なんか、全然わからなくなってきた。
考えても仕方がないから、ボチボチ、パッキングでもしよう。
- 2007/07/11(水) 13:00:47|
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林青霞(ブリジット・リン)のインタビュー本を自費出版してから2年以上になる。THE LAST STAR OF THE EASTというタイトルの本で、出版までにお金もエネルギーも使い果たしてしまって、プロモーションをほとんどしなかったからかなり売れ残っている。日本へ引き上げるときにどう処理をしたらいいものか。
台湾の某出版社が中国語版を出したいといってきたので権利を売ったが、その期限が今年の10月までだったような気がするなぁ、どうなっているのか連絡をしてみようかなぁ、と考えていたら、翻訳が終わったとメールが来た。ということは、本当に中国語版が出るらしい。中国本土の出版社との話はいつの間にか立ち消えになったが、とりあえず繁体語で出版されればうれしい。現在は本の中で使った写真の権利をクリアしようとしているようだ。無事、出版されるように祈っている。
本当は中国語圏以外の人たちに読んでもらうために英語で書いたのだけど、結局、ブリジットの本は中国語系の人たちが読者になるようだ。そういうものか。
追記;ブログにアップしてから契約書を読んでみたら、一応、2007年の5月までには翻訳本を出版する」という項目があった。それなのに6月末で、まだ翻訳が終わった段階ジャン・・・。細かいことを言っても仕方がない。もともと、中国語版を出版してくれるだけでも御の字だと思っていたのだから。
- 2007/07/08(日) 16:06:22|
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四月に行ってきたばかりなのに、11日にまたぞろ香港へ行く。当然その帰りは札幌へ帰り、東京にも2泊位するかもしれない。
今回は、今年の7月18日が梅艶芳(アニタ・ムイ)の香港芸能界デビュー25周年にあたり(第一屆新秀歌唱大賽で優勝した日)、15日に行われるその記念イベントに出席するためだ。ただ、上海のファンが14日にアニタの芸能生活25周年記念イベントをする、と先に告知をしており、あたかもそれを邪魔するかのようにファンクラブが香港でのイベントを発表したから、どうもこれは突発的に決まったものらしい。飲茶を楽しんでアニタをしのぶ映像鑑賞という3時間くらいの内容だそうだ。中国本土のファンというか上海のイベントに参加を決めているひとたちは日程的に参加できないし、イベントごとに参加者が目減りしている状態もあって、私は飛行機が取れたら行こうと決めた。
プータロー生活が長いから、人は贅沢だと思うだろう。しかし、デビュー25周年記念の行事は一度しかないことだし、香港へ行けるときに行っておいたほうが後悔がないだろうと思う。ただ、暑さと湿気には特別に弱い私は香港の夏を考えると少々気が重い。我ながら本当に行くのだろうかと思うくらいに何も準備していない。
- 2007/07/08(日) 13:10:27|
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アジア時間ではすでに7月1日になり、今日が香港回帰十周年になる。十年前の1997年は私が香港へ行きだして三度目というか三年目で、初めて林青霞(ブリジット・リン)にインタビューできた年でもあった。中国返還のセレモニーには特別な感慨もなく、テレビ中継を見ていたと記憶する。香港が好きというよりは、香港映画は面白いというだけだったのだ。
今、梅艶芳(アニタ・ムイ)のファンになって、1997年はもう少し違った意味を持つようになった。といっても、政治的なことではない。香港では、6月30日にアニタ他当時の有名歌手がこぞって出演したTVBの返還記念番組「龍的光輝-香港回歸大匯演」が会場の文化中心から生中継されたそうだ。私はアニタの出演部分だけを見たが面白いことに気がつく。どういうわけか、このときのアニタは衣装を「使いまわし」ですませて、新調しなかった。
初めに着ていたのは、1996年の大晦日、香港コロシアムで行われていた張國榮(レスリー・チャン)のコンサート「張國榮跨越97演唱會」が年を越えて1997年になってからアニタがゲストとして登場したときの衣装だ。「夢伴」を中央のセリから上がりながら歌ったが、音程が低い。アニタは自分が帰依する仏教の師がいるチベットへ行ってきたばかりで、体調を崩していた。それをおして、1997年の一月一日という特別な日のゲスト出演をしたのだった。そのせいか、アニタは「1997年は病気をしないように願う」と言うと、レスリーもそれに同意する。このあとこのあと「のどの調子が良くないので、うまく歌えなかったらごめんない」と言って「縁[イ分]」をデュエットした。
次に着たのは、91−92年の「百變梅艶芳告別舞台演唱會」で「幾多」などを歌った一応はコンサートの締めのパートで着た白いガウンだ。「龍的光輝-香港回歸大匯演」では「火鳳凰之舞」を歌った。アニタの衣装がみすぼらしかったということは断じてないが、何故、香港最大のイベントなのに、「お古」を着て出演したのか気になる。アニタ流の中国政府に対する意思表示なのか、単純に一回こっきりのエベントのために無駄なお金を使いたくなかったのか。
アニタの体調はあまりよくならず、この年の誕生パーティではファンクラブを廃止する、とまで言い出した。これは、ファンの猛反対で継続になったが、アニタの精神も低調だった年だと思う。
- 2007/07/01(日) 10:38:20|
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