私は梅艶芳(アニタ・ムイ)の映像を見れるし歌も抵抗なく聞けるが(ファンの中には未だにそれが出来ない人もいる)、他人が歌うアニタの歌には異常とも思えるほど拒否感がある。
だから、香港で再演される「A.MUI LIVE 独唱戯」には行く気がしない。香港のことだから、短絡的に、「A.MUI LIVE 独唱戯」の入りが悪いと、アニタにはもう人気がないのだと評価が下されるかもしれない。舞台は成功してほしいと思うのだが、だからと言って私は見にいくことがないだろう。あと20年後くらいだったら見れるかもしれないが、今はとても出来ない。
私はアニタが歌う曲、パフォーマンス、出演映画の大半が好きなのであって、アニタの歌が好きなのではないからだ。歌に関しては、アニタが歌うものなら、鼻歌だって聞きたいと思う。が、他人がアニタの歌うを歌うのには抵抗がある。
映画なら大丈夫。アニタが出演していてもあまり好きじゃい映画がある。もし、アニタが出演した映画がリメイクされて、誰かが演じると言うのなら、見にいけるし我慢もできる気がする。だが、歌やステージングはアニタ印がべったりついている。どうしても比べてしまう。ベストを知っているのに、それより劣るものを見るのは耐えられない。
もともと、アニタに関するものは何でも応援しようという気が私にはない。たとえ私が香港滞在中にアニタの弟子のコンサートがあっても行く気がしない。アニタのトリビュートCDが出たとしても買う気がしない。人々がアニタを忘れないために、こういうことを支持したほうがいいのかもしれないが、今のところ、私には興味がない。
アニタ・ファンの中には、アニタに関することは何でも応援すると言う人もいる。それはそれで立派だと思う。もし、時がたつにつれて人々がアニタを忘れてしまったとしても、仕方がないと思う。運命というものだろう。
- 2007/08/30(木) 10:56:57|
- 梅艶芳
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最近、DVDのメール・レンタル、NETFLIXを利用しているのだが、久しぶりにロス・ライナー監督の『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987年)を見た。先日、友人と会って話していたときにこの映画の話になった。あれは大好きなラブ・ストーリーベスト10の中に入る作品と思い、DVDをレンタルした。1987年の作品だからみんな若いし、主演の二人(ロビン・ライトとケリー・エルウェス)は美しい。本編、監督と原作者のウィリアム・ゴールドマンのそれぞれのコメンタリーも見てしまった。この映画はあまりヒットしなくて、ビデオ化されてから見直された作品なのだ。でも、私は試写を見たときから大好きだった。
2,3年後に主演のケリーに取材したときにこの映画がいかに好きかを話したような記憶がある。サインをください、と頼んだらイラストまで描いてくれた。そういえばジャック・ニコルソンもイラストつきサインをくれたなぁ。
で、この際だからメロドラマの王道、『ローマの休日』(1953年)もかりた。もう何年も見ていなかったので、こんなシーンがあったのか、と新作を見るような感じだった。オードリーにも一度だけ会ったことがある。晩年、NHKのBS放送用にインタビューしたときに、それに立ち会ったのだ。スタッフの一人だったからほとんど見ているだけだったが、その夜だったか、ロサンゼルス日本領事館の総領事の私邸でユニセフ関係のパーティがあって、それを取材したのだ。あのときは何も用意をしていなくて、とっさにメモ帳にサインをもらったような気がする。
ジャーナリストはサインだの取材先のおみやげなどをもらうべきではないのだが、私はジャーナリストなんかじゃないもん、と居直って、スターからサインを貰っていた。職権乱用と言うよりも、全くの恥知らず、だ。ミーハーなんだからしょうがないじゃーーーん。
- 2007/08/29(水) 12:24:01|
- むかし話
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梅艶芳(アニタ・ムイ)のお葬式で弔辞を読んだ張敏儀(チョン・マンイと読むのだと思う)はアニタをフランスの歌手エディット・ピアフにたとえた。そのE・ピアフの伝記映画『LA VIE EN ROSE』が上演されている。日本でもまもなく公開されるはずだ。
アニタとエディットにはちょっとした共通点がある。どちらもウサギ年生まれで、エディットはフランスの庶民に愛された歌手なら、アニタは「香港の娘」といわれた歌手。エディットのお葬式には約4万人の人たちが集まり、パリの交通はストップしたと言われている。エディットが亡くなったのは1963年の10月10日で、アニタの生年月日と同じだ。二人とも恵まれない人たちに寄付をたくさんしたし、結婚せずに亡くなった。エディットが歌った「ラ・ヴィ・アン・ローズ」をアニタも95年のコンサートで歌っているが、これは93年に亡くなった陳百強(ダニー・チャン)の追悼の意味があった。ダニーは「粉紅色的一生」と言うタイトルで広東語カバーをしてヒットさせていたからだ。
もちろん、似ていないところもたくさんある。が、「奇妙な類似点」に興味があって映画を見た。ドジなことに、時間を間違えてしまったので、初めの5分くらい見逃した。エディットが歌っているときに、救急車を呼んだ、とかマネージャーらしき男が言っているシーンから見た。エディットはモルヒネ中毒で肝臓をやんでいたこともあり、ステージで何度か倒れてしまうシーンがある。亡くなる一年前のコンサートでも倒れ、観客が舞台に赤いバラの花束を次々に置くシーンは泣けた。
アニタがエディットの生まれ変わりかもしれない、という人がいるが、私はそうは思わない。偶然に共通点があるだけだと思う。アニタの前世は僧侶だと彼女の師父が言っているもの。
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- 2007/08/27(月) 18:17:38|
- 梅艶芳
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このところ梅艶芳(アニタ・ムイ)関係のエントリーがないので、アニタ離れをしているのかも?と思われそうだが、実は、ちゃんとアニタ・ムイしている。毎日ではなくなったが、しっかり彼女の映像を見ている。
95年のコンサートを音だけに注意を払って聞いていると、オープニングの「夢伴」がレコーディングよりもはるかに低いキーで歌われたので、このころから、アニタは高音が出なくなった、と言われるが、私はそう思わない。このコンサートでは、むしろ、アニタはいつもよりも高音を聞かせている。それは、単に「アアア、アァア、アー」とか「ウッウ、ウーウーウ」というスキャットだったり、「行かないで」の広東語カバー「李香蘭」であったりする。
アニタが扁桃腺を患ったり、激やせしたりした96年から97年を境にして、体調は段々と悪くなり、それは当然ながらのど(声帯)の状態にも影響したと思う。顔つきも変わった、と思う。99年のコンサートはまだ良いとしても、2002年のコンサートは彼女の全盛のころ(告別舞台演唱會)と比べると、明らかに20年の経験でカバーした部分がある。それでも、私はあの「極夢幻演唱會」は好きだし、すごい、と感心して見てしまう。さらに、ファンが撮ったマレーシアでのコンサート(つまり、「極夢幻演唱會」のワールド・ツアー)を見ると、舞台は三面だし観客の反応がヴィヴィッドだからアニタも乗っていてもっと良い。最悪の状態での「経典金曲演唱會」だって、アニタの歌唱は他の歌手に比べたらはるかにうまいと思う。
私が言いたいのは歌手としてのアニタだけをずっと見ていると、明らかに、最後の5年間くらいから高音が出にくくなったし、歌う曲調も、歌い方も変わった事がわかる、ということだ。20年たてば、それだけ年をとって、体調も変わるのは当たり前だ。
もしも、アニタが存命でこれからも歌い続けていくとしたら、どういう進化をしたのだろうか?と考える。ジャズを歌っていたかもしれない。いや、アニタのジャズを聞きたかった。
- 2007/08/27(月) 17:31:25|
- 梅艶芳
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案の定、読み始めたら本を置くのがもどかしく、読んでしまった。毎日、ワン・チャプターづつ読めばいい、なんていうのは初めの2日だけだった。結末を早く知りたくて、はやる気持ちを抑えて読むのは大変だった。いつものように、知らない単語は読み飛ばし、半分位まで読んだところで我慢ができずにエピローグを読んでしまった。反則だけれども、ミステリーの本じゃないからいい、なんて言い聞かせて。このあとは、少し落ち着いて読めたから結果的には良かった。今は、ゆっくりと読み返すことができる。
[ハリー・ポッターの原作 2]の続きを読む
- 2007/08/24(金) 09:46:41|
- 本
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日本滞在中にハリー・ポッター・シリーズの最終作「Harry Potter and The Deathly Hallow」が発売され、私はメール・オーダーをして旅行へ出た。今までの6作は買ったその日から夜通し読み続けていたものだが、今回はずっとベッドサイドに置かれたままだった。
[ハリー・ポッターの原作]の続きを読む
- 2007/08/18(土) 11:31:11|
- 本
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先日の日航機の中で『東京タワー オカンとボクと時々オトン』を見た。劇中、オカンが抗ガン剤治療を受けて、その苦しみをリアルに描いているシーンがあった。そのシーンはガンで亡くなった私の妹と梅艶芳(アニタ・ムイ)のことを思い出させて、見ているのがつらかった。
妹は病院へ行っていたにもかかわらず担当の医者の偏見でガン発見が遅れた。いくら妹がしっかり検査をしてほしいと頼んでも、「若いあんたがガンなわけないでしょ。仕事がつらくてやりたくないから、どこかがおかしいと思うだけ。痛いのは気のせいです」とさえ言われたそうだ。私は医者も病院も変えるべきだ、と電話で何度も勧めたけれども、妹は「だって、会社が紹介してくれた病院だから、それはできない」と答えた。担当医が夏の休暇をとったとき、別の医者が診察をしてかなりあわてていた、という。発見されたときはもう末期がんで、長くて3ヶ月の命と宣告された。私はそれを知らず、両親は妹にも何も知らせずにいたのだが、電話で「それはやっぱりガンじゃない?」という私に「ガンじゃないよ」と妹が答えているのを聞いて、そばにいた母は私には真相を話すべきだと思ったそうだ。妹には知らせない、という条件付きで。
私は急遽、9月末から始まるUCLAを一学期休学することにして日本へ帰った。東京の病院にいた妹を札幌の大学病院へ移し、家族ぐるみで看病した。妹が一人部屋へ移ってから、私はほとんどそこに寝泊りしていた。
見舞いに来た人の無神経さは耐えがたく、あまり本人に会わせないようにした。体調が悪いときに限って患者を「もの」のように扱う手荒な看護婦に当たる不思議さにはまいった。親切を装って新教宗教を勧める人もいた。こういうことは、経験してみなければわからないことだった。当時はインフォームド・コンセプトが一般的ではなかったので、一々質問する私は煙たがられた。知る権利がある、と考える私と、医者の言うことは絶対だと思う母。妹が私を信頼するのは当然だった。母には「日本人に戻って頂戴」と言われた。
末期ガンだった妹に抗ガン剤を使ったのは、大学病院だから仕方がなかったのかもしれない。その必要はなかったのだから。ただ、私たち家族は妹の激痛がそれによって少しは良くなるかもしれない、という淡い期待を抱いたのだ。妹は良く耐えたと思う。が、結局はモルヒネを使うようになり、年を越してすぐに、私は退学を避けるためにUCLAへ復学をしなければならなかった。今生の別れだとわかっていたが、言い残すことはないかとは聞けなかった。長く生きれば、それだけ苦しむことも知っていたから「がんばってね」と言わなかった。言えるはずがない。別れ際、私は妹と『E.T.』のなかの「指合わせ」をした。映画を見た方ならお分かりだろうが、お互いの頭(心)にいつまでもいる、という私たち二人の暗号だ。
それから、ほぼ一ヵ月後に妹は亡くなった。もう、あれから22年以上になる。私は姉らしいことをほとんどしたことがないし、妹は私よりも世の中を知っていたと思う。お互いを人間として尊重していたから、姉妹というよりもソウルメートだった。つい先ごろ、スピリテュアル・リーダーに「妹さんはいつもあなたの周りにいるし、あの世でも、一番に出迎えてくれますよ」と言われて、ほっとした。
妹に会ったら、いろんなことを話さなくては。中でもアニタのことを言わなくちゃ…と思ったが、もう二人は天国で会っているだろうな。
- 2007/08/14(火) 14:24:08|
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またまた、コンピュータをヘンにしてしまった! ブログに写真を載せようと思ったのに、写真を縮小できなくてあきらめた。ついでに、使い勝手が悪い、というかう私がまく使いこなせないソフトを削除したらCD/DVDドライブが消えてしまった! ウィンドウスがドライブを認識しないのだ。それで、あれこれやっているうちにドライブは復活したが、書き込めないドライブになってしまった。あー、またやった。削除してはいけないものを消してしまったようだ。シロウトはこれだから困る。 最終的にはリカバリー・ディスクをつかえばいいのでしょ、とふてくされ気味になって寝てしまった。
前回、リカバリー・ディスクを使ったとき、このときは一週間に2回も使ったのだが、その際、保存していた写真を消してしまったニガイ経験がある。だから、今回はちょっと躊躇している。ソフトのインストールやメール設定などが面倒くさいから、いっそのこと外付けのドライブを買おうかな?
実に、ドジな日常。我ながらあきれてしまう。
一夜明けて、昨日の作業をリバースしてみたらどうか?と考えた。つまり、削除したファイルを再びインストールしてみればうまく元に戻るかもしれないではないか。どうやら成功したようだ。しかし、コンピュータってよくわからない。
- 2007/08/10(金) 08:29:50|
- 日常
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香港滞在中に三度CHEERFUL CAFEへ行った。一度は梅艶芳(アニタ・ムイ)の映像を見る集いで、あとの二回は、用もないのにわざわざ銅鑼灣(コーズウェイ・ベイ)にあるカフェまで行っていた。ここは、午後3時から夜中の2時までの営業で、夕方に行くとお客さんは誰もいない。ひとごとながら、こんなことで経営が成り立つのだろうかと心配になる。アニタ・ファンが心置きなくアニタのことだけを話せる場所は世界中でもここだけなので、末永く存続してほしい。それで、時間さえあればカフェに行っていた。まぁ、私が使ったお金は一日の氷代にもならないだろうけど。
[CHEERFUL CAFE]の続きを読む
- 2007/08/09(木) 10:35:46|
- 梅艶芳
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時差ボケは年とともに直りにくくなっている。ちょっと油断をするとすぐに眠くなって、それに負けてしまう。そこで、昼寝や夕寝をしないように気を引き立てておくには好きなことをするに限る。
[「アップタウン・ガール」など]の続きを読む
- 2007/08/07(火) 14:42:44|
- 梅艶芳
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2,3年前から、正確には梅艶芳(アニタ・ムイ)のファンになってから、飛行機内で見てしまう映画が多い。ファンになる前はハリウッド映画で未見の作品はほとんどなかったのに、今は、それが逆になり、あ、これは見ていない、あ、これも…と律儀に見てしまう。
[JAL機内のエンターテイメント]の続きを読む
- 2007/08/06(月) 01:34:04|
- 梅艶芳
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28日に蒸し暑い香港・日本から戻ってきた。湿気がないだけLAは爽快だ。でも、時差ぼけでゴロゴロしている。
12日の夜遅くに香港へ着き、ゲストハウスについたのは夜中だった。13日は銀行へ行ったり食糧を買ったりして、あとは部屋で休んでいた。外へ出ただけで汗がタラ〜リだから。ケーブル放送で『偶然』を放送していたので見てしまう。
14日は梅艶芳(アニタ・ムイ)ファンがオーナーのCHEERFUL CAFEでアニタ映像の特別上映会があるので、いくさんと一緒に行った。このカフェでは月に一度の割合で珍しいアニタ映像の上映会があるそうで、他にもゲーム・デーなんていうのもあるとか。ただ、30人くらいしか入れないところなので予約というか席を確保するために前払いが必要だ。この日の上映会は15日の夜の上映会に希望者が多く、急遽追加したものなのだ。上映会後はだべってから何人かと食事へ行った。
そうそう、10月のアニタのバースデイ・パーティではアニタ・グッツのオークションを考えているそうだ。アニタ・グッツといえば、いくさんが持っていった「香港ムービー・スター16」の中にあるアニタの写真が好評で、ファンはみんなほしがってデジカメで写真を撮っていた。私もこの本が見つからないので、中古本を買うことにした。
15日は午前中に九龍塘の真善省堂へ行って、アニタの霊位にお参りをした。紙でお金を折って(これを何と呼ぶのかわからない)お供物にするのだが、扇風機が回っているだけでサウナに入っているよう。汗がどっと出る。お線香を持つとその色が指についてしまう。ハンカチでは足りなくてタオルをもってくるべきだった…。
そこから、ファンクラブのアニタ芸能生活25周年記念行事があるホテルへ移動。いつものようにあまり仕切りが良くなくて、しかも天井が低い会場でアニタの映像を見せたから、一番前の席に座った人と立ってみた人しか見えなかったと思う。私は前から4列目だったが、前に座った人の頭しか見えなかった。99年コンサートの映像の一部が出たときだけ、体を横にして見たのみ。あとはあきらめた。したがって、不満たらたら。せめて、前後の間隔をあけて椅子を互い違いに並べてくれたらなぁ…。
16日は中国銀行へ行って、10月の星光大道沿いに予定しているアニタ展示会の寄付を入金してきた。お金が集まるのだろうか?アニタ・ファンに頼んでおいたDVDを受け取りに行き、ついでに舞台劇『暗戀桃花源』の展示が中環のフェリー内にあるというのでいって見たが、香港の演劇史らしきパネルがちょっとあるだけでガッカリ。そのあと、カフェへ行ってカタコトの英語と日本語で話してきた。
17日はパッキングをして夕方から出かける。知り合いと食事をして帰ってきた。
18日は移動日。
26日まで札幌にいたが、結構暑かった。26日に東京へ行って、27日は歌舞伎座で「NINAGAWA 十二夜」を見る。面白かった。シェークスピアも歌舞伎も古典だから共通する部分がかなりあるのだろう。
28日は移動日。疲れた。
- 2007/08/02(木) 03:17:05|
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