随分と長い間、ブログ更新をサボってしまった気がする。書きたいことは多々あったのに、結局、どれも考えがまとまらずにそのままズルズルと今日になってしまった。
22日の1時ごろにやっと家にたどり着き、寝不足でフラフラする頭をおしてメール・チェックだけした。なんとなく悪い予感がして、入り口のメールボックスを見に行った。すると、雨が降っていることに気がついた。案の定、郵便局止めにしておいたはずの郵便物がメール・ボックスにギュウギュウに押し込められていた。またか、と腹が立った。留守にする前に届け出を出したのに、これでは意味がないではないか。
この日から、ずっと、27日まで雨が降り続いた。一日中ピチピチと降る日もあれば、断続的にザーッ降る日もあった。こんなに長い間雨が降るのは珍しい。雨降りのときの運転は道路が滑りやすいので普段よりも気を使う。時差ぼけで頭がはっきりしないし、反応が鈍っているのだからなおさらだ。あまり、家から出ないようにしていた。
テレビをつけると、ヒース・レジャーの突然の事故死の話題で持ちきりだ。若くて前途有望だった人の突然の死は、ファンではなかったけれどもショックだ。
そうそう、帰りの飛行機の中で、4本の映画を見てしまった。その中の一本、ジョディ・フォスターの『ブレイブ・ワン』を見ていたら、彼女ってマイケル・J・フォックスに似ているなぁと思ってしまった。今のマイケルは老けてしまったが、若かった頃の彼に似ている。そんなつまらない連想は、土曜日の夜に放映していたので思わず見てしまった『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツがなんとなくアニタ・ムイ(梅艶芳)と共通するものがあるなぁ、に続いてしまった。顔が小さいところとか、ストレートなジュリアの役柄がアニタを連想させる。
『プリティ・ウーマン』といえば、傑作とはいえないがフィール・グッドの作品だから好きだ。そこで、心が癒される映画はこのほかに何があるだろうか…、と考えてしまった。『ノッティングヒルの恋人』と『シャーシャンクの空に』は絶対に外せない。『プリンセス・ブライド』や『レディホーク』も好きだなぁ。香港映画なら断然『北京オペラブルース』。クラシックなら『ローマの休日』に『サウンド・オブ・ミュージック』。まぁ、これだけあれば大丈夫だろう。
- 2008/01/31(木) 11:47:54|
- 日常
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ただいま、成田空港。あと、15時間位でLAの家に着く。行きはよいよい、帰りは怖い…、とは良く言ったものだ。
これから9時間以上も飛行機に乗らなくてはならない。あと何度、往復するのだろうか?
今回はかなり長く実家にいて、里心がついてしまい、LAに戻るのが億劫だ。
山のようにある、紙類(本、雑誌、新聞、その他もろもろ)の整理を考えると頭が痛い。
- 2008/01/22(火) 16:41:23|
- 梅艶芳
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先週の今日、テレビで『酔拳 2』のテレビ放映があった。日本語吹き替え版で、日本で市販されているDVDとは違うようだった。サイド・バーにあるanitamuijapanさんのブログに、この映画の」ロケ撮影に行ったときの様子が過去に書かれていた。どのシーンだったのかなぁと思ったら、日本ではカットされた「問題のシーン」を撮影しているところだったとか。私は、幸い、大陸版のDVDを持っていて、そのシーンを見ている。
テレビ放映ではNGシーンがなくて残念だった。どうも、英語版のプリントみたいだった。
以前にも書いたことがあるが、この映画の中のアニタ(梅艶芳)はとてもはじけていて、そのコメディアンヌぶりが遺憾なく発揮されている。後で知ったのだが、アニタは自分がどんな役なのかを知らずに、スタントマン協会(正式な名称は知らない)の基金集めの映画と聞いただけで出演をOKしたのだそうだ。継母とはいえジャッキー・チャン(成龍)の母親役とは、彼女自身も驚いたそうだ。でも、違和感がなかったのは、さすがというべきか。考え付いたジャッキーも、それを見事に演じたアニタも。
- 2008/01/17(木) 15:52:50|
- 梅艶芳
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昭和34年生まれの百恵ちゃんの誕生日。先日、夜中につけたラジオから「横須賀ストーリー」が流れてきて懐かしく思った。幸せに暮らしているようなので、喜ばしいことだ。
- 2008/01/17(木) 15:34:27|
- 山口百恵
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札幌は連日、最高気温がマイナス零度以下の真冬日で、寒い日々が続いている。冬休みだったからか、いつも利用するまんが喫茶は満員の日が続いた。ここはIDを提出する必要がない。もう一軒、昨年まで利用していたところへ行くと、IDの提示を求められた。持っていません! 外出するときに、パスポートや健康保険所を持って歩かない。お陰で、携帯電話を買うときも、預金をおろしてドルに変えようと思ったときも出直さなければならなかった。日本でIDの提示を要求されるなんて、考えもしなかった。世の中、かわったんだなぁ。
- 2008/01/17(木) 15:30:20|
- 日常
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12月28日 同じゲストハウスに「日本人の男性が泊まっている。アンタと同じ時期に来て映画を見に行っているそうだよ」とおばさんに言われ、その方を訪ねてみる。なんと共通の知り合いがいた。世の中狭い。油麻地の図書館へ行ってみるが、私が見たいと思った新聞のマイクロフィルムはセントラル(中環)の本館にしかなく、それもすべてがあるわけではないので電話で問い合わせてから行ったほうがよい、といわれる。夕方からCAFEへ。顔見知りのアニタ(梅艶芳)・ファンが数人集まって「鍋パーティー」をするというのので、私も仲間に入れてもらう。CAFEに集まる人たちの顔ぶれはほとんど決まっているが、今日はフリのお客さんが来た。シンガポールからのアニタ・ファン三人と台湾からのファン一人。
CAFEに羅君左(アニタと昔からの知り合い)が書いた本があったので買う。夜遅く、彼が来るからサインしてもらえば?といわれたが、都合で彼は来なかった。
12月29日 午後一時からアニタの特集番組をTVBの有料ケーブルで放送するというので、anitamuijapanさんのお宅へ行き鑑賞。初めて見るクリップがあった。これは来週に後編が放送されるという。その録画をお願いして、一度宿へ戻る。夜、ファンクラブ主催のビデオ鑑賞会。アニタに関わるものはなんでもそうだが、今回も貴重な映像だった。その後、CAFEに行った。ただし、アニタが亡くなった2時25分(by羅君左。午前2時50分というのは公に公表するときに統一した時間)は部屋で静かに黙祷した。
アニタのファンになってから、新しいメンバーを入れないという排他的な会ではあるが、ファンクラブ主催のイベントにはできるだけ参加しようと決めた。主役がそこにいないのは残念だが、同じファンが一堂に会してアニタをしのぶ、ということに意義があるからだ。だから、ビデオ鑑賞会の内容が、たとえつまらないものであっても、集まったファンが同じ場所で同じものを見る、という楽しさを味わうべきなのだ。私が、このしぐさがいいなぁ、と思っていると、同様の反応があったりするのが楽しい。ファンは大体同じことを考えているのだ、と実感する。
12月30日 省善真堂に9時過ぎについたら、まだ、ファンがお花やアニタが生前好きだった食べ物をお供えしている最中だった。あら、9時半集合じゃなかったの?まぁ、いいか。結局、バス2台に分乗してランタオ島の寶林寺に向かったのは10時45分。寶蓮寺についたのは12時ごろで、バスで行くのだからあの250段以上の階段を登らなくてすむかもと期待していたが、やはり、自力で登らなければならなかった。フーフー、ゼーゼー言いながらアニタのタブレットの前に行くとすでに、50人以上のファンがいた。香港へくると、ここと省善真堂の両方か、どちらか一方は必ず来てお参りをしている。参加者は100人に満たなかったが、ファンがこれほど集まってお参りするのは一回忌以来ではなかろうか。その後、食事をして解散。
その日の夜、フリンジ・クラブで追悼会。アニタをしのぶ映像に涙するファンがいた。前日CAFEで会った人たちも来ていた。
追悼会の前に軽く食べたのでそれほどおなかがすいていなかったが、芳心薈(MUI NATION)の何人かに食事に誘われたのでの我々日本人ファンも参加した。結構食べてしまった。そして、またまた、私はCAFEへ。CAFEも10月10日、12月29日と30日はお休み、と言っていたが、結局、集合場所に都合がいいので、この二日間はあけていた。
12月31日 寝不足が続いたので10時過ぎまで寝ていた。夕方から、10年以上も前に知り合ったチャン・ポーチュウ(陳寶珠)ファンとアフタンーン・ティ。映画祭で知り合った。私にとって初めての香港人の友達。その後、まったく予定がなかったので再び、CAFEへ。すると。「アニタ 人生ゲーム」の創作者たちがきて今夜はゲームをするのだという。当然、私も参加した。これで、念願が叶った。アニタのCD、写真、ポスター、彼女が載っている雑誌・新聞などを買うほか、アニタに会えたときのために、プレゼントや花束はもちろんのこと、写真を撮るためのデジカメやサインをもらうためのペンを買う。そうして、アニタファン度を競うわけだ。途中で、カウントダウンのテレビ中継を見た。時代広場へ行き着けなかった人たちが、CAFE(日本流にいうと3階にある)から見える。ゲームを終えて部屋に戻ったのは午前3時過ぎ。MTRが24時間動いているのがありがたい。
2008年1月1日 ほとんど眠られず、7時過ぎにチェックアウトして空港へ。行き帰りも香港ー成田間は満席、と言われたいたが、それは、旅行社が押さえていたからだ。7割くらいしか乗っていなかった。しかも、日本での入国検査は日本人のところがガラあきでまったく待たなかった。その代わり、外国人のところは長蛇の列。成田から羽田への移動も、国内線もすいていて、実にスムーズ。千歳行きの飛行機も無事飛んだが、札幌へ向かう途中から激しい雪になった。ともかく、夜の9時半ごろ家に着いた。
今年は私自身の大移動があるので10月と12月に香港へ行けるかどうかわからない。が、3月下旬から4月上旬にかけての映画祭期間は行く予定だ。今年も、香港は行ける時に行く、がモットーだ。
- 2008/01/09(水) 14:50:15|
- 梅艶芳
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12月24日 夜10時半ごろ香港着。エアポート・バスに乗って宿舎の近くまでスムーズに行ったが、クリスマス・イブでネイザン・ロードが歩行者天国になっている。ものすごい渋滞。おかげで、午前0時ごろ、やっとたどり着く。
12月25日、 夜早めの食事をしたあとanitamuijapanさんとCHEERFUL CAFEへ行く。顔見知りのアニタ(梅艶芳)・ファンが10人ほどいて、今、「アニタ人生ゲーム」(アニタ・ファンが作ったゲーム)が終わったところだという。私はこのゲームにはニア・ミスで初める前か終わったあと、ということばかり。いつかは絶対プレイするぞ! クリスマスのアニタ・ゲームはまだまだ続き、広東語のわからない私がanitamuijapanの助けを借りて、問題を言う、という趣向になった。なにしろ、アニタのことなら歌詞、歌の題名、映画のタイトルは熟知している人たち。単純な質問では面白くないので、私が棒読みの広東語を言って、それに続く歌詞を言うというゲームになった。これがかなり盛り上がった。私もアニタ関連のプレゼントをもらってしまった。
12月26日 沙田にある香港文化博物館へanitamuijapanさんと一緒に行く。アニタの展示物は他の歌手と比べると少ないが(つまり、博物館にアニタにかかわるものを貸し出したり贈呈するひとがいないからだろう)、広東ポップスの展示はよかった。お天気もよくて、冬なのにポカポカ陽気だった。そのあと、映画『投名状』を見た。
12月27日 アニタのコンサートをプロデュースしたことがあるDさんとCAFEに行った。そこにいた、知り合いのファンと香港電台の『不死傳奇』のアニタ編の試写へいった。アニタの追っかけをしていたファンは、「アニタがここ(香港電台の敷地内)にいて、私たちはあのゲートの外から彼女の名を呼ぶと手を振ってくれたんだよ」と話す。その後、集まった何人かと食事へ。
続く
- 2008/01/07(月) 16:16:45|
- 梅艶芳
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