3月 22日の集まりで主催者側から出された抽選賞品。ファン垂涎もののレアなアイタムもあって、くじ引きに一喜一憂。

サプライズ・プレゼントは…これだ!アニタ(梅艶芳)のサイン入り写真。

3月23日に上映されたシルビア・チャン(張艾嘉)が監督した『一個好爸爸』の舞台挨拶。

ほとんどの地下鉄の駅で見かけたポスター

バス停なんかではこれ。

4月1日、偶然通りかかった香港コロシアムのエイローゾーン。拝神が終わって正面の柵にへばりついていたファンと握手するジャッキー・チュン(張學友)。

- 2008/04/29(火) 21:04:56|
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時差ぼけで早く目がさめたので週末の早朝割引に行って来た。最近は滅多にノーマル料金で映画を見なくなったなぁ。見た映画は『The Forbidden Kingdom(功夫之王、日本語タイトル『ドラゴン・キングダム』)』。この作品は孫悟空の如意棒をめぐって、『カラテ・キッド』『酔拳』『白髪魔女傳』『金燕子』などのキャラクターがちりばめられたコンピュータ・ゲームのようだった。見ている間は飽きないし、見せ場もあるが、それだけでもある。因みに、当然ながら英語版。これ以上は、これから見る人たちに悪いので書かない。
香港や日本からもってきたDVDのチェックがほぼ終わった。
- 2008/04/27(日) 17:19:49|
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今年のカンヌ映画祭は5月15日から25日まで行われるそうだ。特別上映作品に『楽園の瑕(『東邪西毒』)』の再編集版がリストアップされている。私が自費出版した「The Star of The East:Brigitte Lin Ching Hsia and Her Films」の取材中に使われなかったフィルムについて何人かに聞いたことがある。捨てられた、とか、サウンドがないとか言われたが、ある人が「ウォン・カーワイ(王家衛)はただ働きをしない人だから、カットされたフィルムがあっても、誰かが資金を出さない限り何もしないだろう」と言った。それで、あぁ、フィルムは存在するのだ、と思った。また、ある機会に、東宝東和の人が、「足りなくなった制作費を募ったときに、それまでに撮ったフィルムを見せてもらった。膨大な量のレスリー(張國榮)やブリジット(林青霞)のシーンがあったのを覚えているよ」と話してくれた。
そのうちのどれだけが今回の再編集版に含まれるのかは知らないが、ワイルドに活躍するレスリーの姿が見られるだろう。ブリジットとジョーイ・ウォン(王祖賢)姉妹のシーンはどうかな?
台湾の出版社・大塊文化は私の本の中国版は5月下旬に出る、とメールをくれた。なんと、驚いたことにブリジットが序文を書いてくれているそうだ。す、すごい!
- 2008/04/26(土) 18:52:39|
- 林青霞
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4月15日からアニタ(梅艶芳)の母と兄の梅啟明が起こした訴訟についての審議が始まった。私の理解で要約すると、彼らはアニタの遺書は彼女がその内容を明確に把握しないまま作成しサインをしたものだから無効である、と訴えたのだ。これによって、今まで、あまり知らされなかったアニタの「最後の一ヶ月」の状況が白日の下にさらされてしまった。私はアニタの遺書が有効か無効かよりも、このことに心が痛む。
遺書は故人の遺志だから、尊重されて当然であるし、されるべきものだ。しかし、現実はその遺書を作成したときの状況によって、故人の遺志が尊重されないことが多いそうだ。遺書は法的な手続きにそったものでない限り有効にはならないからだ。普通の遺書は裁判によって破棄される可能性が高い。
アニタは生前から自分の母親にたいして子供としての義務と責任を感じていた。しかし、それ以上のことは、色々な経緯から、感じられなくなっていたようだ。特に、金銭管理を任せられないと知っていた。だから、財産管理は専門家を雇って、その人たちにしてもらうように遺書を残した。彼女の直接の心配は、もし、法で決められた財産が母親に渡れば、その大半は兄の梅啟明が使ってしまうことだっただろう。それだけは、絶対に避けたいことだった。アニタは兄の梅啟明から煮え湯を飲まされていたし、そういう事情があっても母親は兄の言いなりだったから。事実、アニタが亡くなって逃亡先から舞もどった長男家族を母親は養っているそうだ。その毎月の経費はアニタの遺産から支払われている。彼らは、アニタを「金がなる木」としか考えていないようだ。
もし、この裁判でアニタの遺書が無効になった場合、あちらの世界に引っ越してしまったアニタは悲しむだろうか?生前にできる限りのことをして旅立った彼女は、もう、こちらの世界のドロ沼のような状況には関知しない気がする。血と汗と涙で残した遺産であっても、今のアニタは達観していると思う。
それにつけても、病状の悪化と投薬の作用でアニタには正確な判断力がなかった、という争点は、やはり故人を冒涜していると思う。アニタの母親や兄はどこどこまでも見下げた奴等だ。
- 2008/04/26(土) 18:18:35|
- 梅艶芳
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香港で購入した『川島芳子』のDVD/VCDを札幌の自宅でちょっとだけチェックした。両親が寝てしまってからしか、DVDプレーヤーを使えないので、そうなってしまったのだが、今回買ったDVD/VCDは、今までに発売された物と少し違っていた。
注目のラストは主題歌が流れているものの、処刑されてから約10秒あまり青いスクリーンだけの画面になるのは同じだった。つまり、サルを肩にのせて、ネオンがともる渋谷の町を歩く芳子…、というシーンはない。が、映画の始めに芳子が中国の警察か軍部の公安かよく分からないが、ある屋敷に入って、芳子を見つけるシーンがあった。そのときに、彼女のペットのサルが撃たれて死ぬ。それと、「1940年松本」というサブタイトルが出て、松本の養父の家にいる芳子のシーンがあった。
過去に発売されたこの映画のDVD/VCDは全てLAにあるので、帰ったら早速調べてみようと思う。ただ、この映画を何度も見たというファンに聞くと。少なくても、ファースト・シーンは今までのDVD/VCDにはない、という。
私は渋谷のシーンがあるものがディレクターズ・カットだと考えていたが、それが分からなくなってきた。色々なバージョンを撮ったのだろうか?何のために?謎は深まる。
追記:やはり、JOY SALESバージョンは2つの新しいシーンが入ったDVD/VCDだった。(4月21日)
- 2008/04/18(金) 16:45:31|
- 梅艶芳
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東京は昨日の午後からずっと雨。今回の旅行は雨や雨模様の日が多かった。お陰で、風邪を引いてしまったし、今日現在でも咳きが抜けない。一時間くらいで機上の人なる。LAに着いたら、なるべく早く引越しの手続きを済ませたいと思う。思い切って、いろいろな物を捨てよう。
- 2008/04/18(金) 16:29:22|
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4月4日、くもり。レスリー・チャン(張國榮)の展示をしているレッド・ミッションに私が書いて自費出版した本を寄付してきた。友人宅に何冊か預かってもらっていたから。私の家には何個も箱が転がっている・・・。ちょっと、パッキングをしてみた。それほど買い物はしていないが重さが問題だな。夜は友人と食事。明日、アニタ(梅艶芳)・ファンに話を聞く予定なので、その準備のために友人にANITA WITHの一部を口頭で簡単に訳してもらう。さらに、どうしても会いたいと言う人から電話が来たので10時ごろから一時間くらい会って話をした。
5日、はれ。摂氏26度くらいまでに気温が上がった。ようやく、いつもの香港らしくなった。しかし、私には湿気があるので暑い。アニタ・ファンとのインタビューは2時からの約束だったが、始まったのは3時過ぎで、すぐにモンコック(旺角)へ移動することになって、4時半頃からようやく腰を落ち着けて話を聞けた。英語の通訳をしてくれた人はアニタが亡くなってからのファンという大学生で、しばしば、ファンが話すアニタのエピソードに聞き入ってしまう。無理もないよなぁ。日本から、アニタ・ファンが到着したという電話をもらったが、今日はあえそうにない。話を聞いている場所に、知り合いのアニタ・ファンが集まってきて、なし崩し気味に夕食。誰のファンでも、ファンクラブがあろうとなかろうと、10人くらいのグループが出来上がって、お互いに顔見知りではあってもファン同士の深い交流はない、というのは普通なのだろう。今日、話を聞いた人も自分たちのグループがあって、撮影のロケ現場訪問(「探班」という)などは独自のコネで情報を得て行っていたそうだ。アニタのファンはファンクラブ主催のバースデー・パーティの映像を見る限り、「ためぐち」を聞いているという印象が強いが、「ファンはみんなアニタを怖がっていた」という。アニタの前では顔を伏せて、直視すらできなかった…とか。アニタはファンに対して厳しく諭すからだそうだ。それでも、みんな、アニタに会いたくて空港へ出向いて送迎していた。単に「ハ〜イ、アニタ」「バイバイ、アニタ」というために。アニタと口を利くときは、いつも、ドキドキしていた、というのだから驚いた。いや、ファンならばそういうものなのかもしれない。今はスレてしまった私にもそういう時期があったもの。
6日、はれ。昨日よりも暑かった。どういうわけか、7時に目が開いてしまい、起きた。昨日は、午前中の早い時間にポーリン寺へ行くという友人に、行けないかも…、と言ってしまったが、やはり、アニタの霊位へのお参りだから何かが働いてちゃんと起きれた。予定よりも待ち合わせ場所に早く着いて、近くの公園で休んでいたくらいだ。お天気もよくて、あまり、混まないうちにお参りができた。いつも、あの二百数十階段を上るのはシンドイが、実は、降りるほうが上るときよりも危険だ。時々、スッーと前のめりに倒れそうな気がする。子供の頃、よく階段から転げ落ちていた名残かな?ポーリン寺で軽くお昼を食べて、一度、部屋へ戻った。私は宿のおじさんに秤を貸してもらって、パックした荷物を計ってみた。大きいほうが23キロ。これならお目こぼししてもらえそう。着替えて、定例の秘密会合へ。アニタ・ファンとも今日でしばしお別れなので、夜11時頃まで居座る。つくづく、広東語が話せないのはネックだと思う。香港に10年以上も通っているのに、アンタはまだ話せないのか…、と言われる。これでも、少しは聞き取れるようになったのだ。今度はいつ来るのか?と聞かれても、即答はできない。その前に「お引越し」があるし、日本へ住み着いたら、それなりに「自由」がなくなるかもしれないから。アニタとの縁が深かければ、10月と12月は、あるいはどちらか一方は、行けるかもしれない。
7日、はれ、東京は雨、札幌はくもり。8時のエアポート・バスで空港へ行き、成田からバスで羽田移動。車中から、お花見。羽田から千歳に飛んで、バスとタクシーを乗り継いで自宅に到着したのが9時過ぎだった。結局、風邪は治らず、咳が残り、声もまだかすれている。映画祭では思うように作品を見られなかったが、アニタ関係ではまぁまぁの成果だった。
- 2008/04/14(月) 17:25:11|
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30日、くもり・はれ。ちょっと、暖かくなった。突然、4月2日の夜に秘密の上映会ができるのでコーディネートしろ、と電話が入る。えぇー!私は広東語が話せないし、そんなに急に、しかもウィークデイの夜にアニタ(梅艶芳)・ファンを集められないよぉ〜。仕方がないので、知り合いに事情を話して助けてもらうことにした。が、彼らはお休みを利用して中国へ行ってしまった…。最低20人は集まらないと各人の負担金が多くなる。最悪の場合は私が差額を払えばいいとハラを決める。
31日、くもり・小ぬか雨。のどの痛みは治まらず、一度咳が出るとコフ・アタックになり、かなりゲホゲホしないと収まらない。あいにくお天気も悪いし、ちょっと外出しただけで部屋にいた。
4月1日。小ぬか雨・くもり。ようやく。香港中央図書館へ行けた。マイクロ・フィルムで1988年9月に行われたソウル・オリンピックの前夜祭パーティの記事を探したが、どこにも(中国と英語の新聞)載っていなかった。探し方が悪いのかもしれない。夕方、今夜のレスリー・チャン追悼チャリティ・コンサートへ行く友人と待ち合わせて食事。ちょうど、拝神のときにコロシアムのイエロー・ゲートにさしかかり、ジャッキー・チュン(張学友)が出てきた。フェンス前で待つファンと握手したり、サインをした彼。単なる紙切れを渡したファンにもサインをしたので驚いた。夜、助けを求めたアニタ・ファンから24人が参加、という朗報をうけた。
4月2日、くもり。松岡さんのところへレスリー特集が付いている明報周刊を持って行った。ファンなら早くみたいだろうから。化膿して口があいた手術あとが固めれば、再び縫合して退院できるそうだ。著書の「レスリー・チャンがいた香港」出版に際してのアレコレを聞く。私の本も台湾で無事出版されるといいなぁ。図書館へ行って、昨日の続きを調べ、成果なく、夜の秘密の会合へ。結果的に28人が集まり、ファンのみんなに感謝。
3日、くもり・小ぬか雨。カナダからの知り合いと会い、そのあと、レッド・ミッションが主催しているレスリー・チャンの展示会場へ。会場にはコンサートを常に流しているフラットテレビのほかに、歌っているとことだけ、話しているレスリー、ミュージック・ビデオのみ、という3台のテレビがあった。デュスコグラフィ、コンサート関係、テレビ・映画関係、海外のイベントについての大型パネル、コンサートで使った小道具やCDカバー・ディザイン・スケッチなどの貴重品が収まったガラスケースなどがあった。これは、単なるファンのコレクションを集めたものではなくて、業界人さらにレスリーにかなり近い人の協力がなければできないだろう。レッド・ミッションの寄付だけでこういう催しができるのはすばらしい、羨ましかった。
- 2008/04/12(土) 13:44:37|
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23日、くもり。昨夜、ちょっと無理をしたのがたたって、夕方まで部屋でグタグタ。宿のおじさんから中国製の風邪薬をもらって飲んだ。食欲がないので、無理にでも食べなくちゃと思うのだが、一人だと手軽なマクドナルドに入ってしまう。夜は新作の香港映画を見て、Mさんと食事へ。
24日、はれ。とうとう、声が出なくなってしまった。朝、一本映画を見て部屋へ戻り、夜の『母べぇ』に備えた。会場で、毎年、映画祭で顔を合わす知り合いと会い、挨拶。映画は軍国主義国家に対するアンチテーゼを描いていて、山田洋次監督作には珍しいと思った。夕食はベジタリアン・レストランへ。入院中の松岡さんは、手術あとが化膿してしまったそうだ。お見舞いに行きたくても、風邪をうつしてはいけないので、毎日、電話するようにしている。
25日、くもり。さらに咳がひどくなったし、のどというよりも胸の半ばまで痛くなってしまった。自業自得。薬局で咳止めとのどの炎症を鎮める薬を買った。ちょっと、「ドロ縄」の感じ。香港へ来るようになってから知り合った映画グッツ店のオーナーのところへ行く。今はもうショップがなくて、インターネット販売だけになった。もう、10年以上の付き合い。
26日、雨・くもり。とうとう観念して医者へ行った。連休が終わった昨日中に行くべきだったのに。抗生物質などの薬をもらった。おとなしく寝ていなくてはいけないのに、夜、友人と食事をして、CAFEまで案内した。
27日、くもり。体調が悪いのか、お天気がどんよりしているから気分がすぐれないのか、わからない。外出せず。
28日、雨。昨日の夜から汗が出て、シーツも上掛けのカバーも、枕カバーもベチョヘチョ。宿のおじさんに頼んで、全て変えてもらった。夕方にはかなり体調がよくなってきた。
29日、くもり・はれ。3時からのインド映画を見に行った。シャー・ルク・カーンはお腹のシックス・パックを見せて、頑張っていた。観客もツボでしっかり反応して、映画が終わると歓声と大拍手。エンド・クレジットが終わるまで客席に残っている人が多くて、そのあとも大拍手。楽しい体験だった。友人と食事。
- 2008/04/11(金) 15:43:32|
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日本へきて、やっと、日本語環境になった。
3月17日にLAを発ち、成田経由で香港へ向かう機内で寒気を感じた。これはまずい。今回、何を勘違いしたのか、かなりの軽装で来てしまったのが原因だ。香港には過去何度も行っているが、春は以外に寒かった経験があるにもかかわらず、だ。ただ、飛行機は順調に飛び、18日の夜11時15分ごろゲストハウスに着いた。
19日はいいお天気。まず銀行へ行って換金し、映画祭のパスを取りに行き、ついでにビデオ施設があるコスモポリタン・ホテルまで試しに行ってみた。映画祭のホスピタリティー・ルームとはいうものの、映画祭会場から遠くて交通の便も悪く、これではほとんど利用できないと思った。なんだか、熱っぽい気がして、マーケットでインスタントものの食料を買って部屋に戻った。年末に来たときよりもほとんどのものが2,3割り値上がりしている。ベッドに横になっていると、知り合いから今夜のIFPI2007の授賞式のチケットがあるので来ないか、と連絡があり、休んで少し気分がよくなったのででかけた。
この授賞式は私になじみがないが、ミュージック・フェアの展示を見たかった。しかし、行ってみると昨年や2年前のようなアニタ(梅艶芳)関係の展示はほとんどなくてがっかり。しかも、授賞式を見ている間に熱が出てきた。若手歌手たちのファンは客席の後ろに隔離されていたものの、笛や太鼓まじりでひっきりなしに声援をおくり、かなりうるさかった。同行の知人が「私たちアニタ・ファンは誰かが話しているときは決して声援を送らなかった。いまどきのファンは出演者たちに対するリスペクトがない」と言った。
この夜、松岡環さんから、「腸閉塞で入院して、今夜手術するかもしれない」との連絡を受けた。道を歩いているときのでんわだったので、メモを取れなかったが、ミッドレベルで「カ」のつく病院、とだけは記憶した。
20日、くもり。起きるとのどが痛くて持参したビタミン剤が飲みにくいほどだった。あわてて、風邪薬を飲んだ。Mさんは「香港で流行っているインフルエンザは子供がかかるだけで、トシヨリはかからないから大丈夫」と太鼓判を押したが、どうもトシヨリの私でもかかったらしい。というか、宿のオーナーもその息子もゴホゴホと咳をしている。風邪の菌がウヨウヨしている中に私はいるんじゃない。仕方がないから、部屋でゴロゴロしていた。
21日、くもり。今日から香港はイースターの4連休。ただし、中国系の会社は関係ないそうだ。声がかすれて、のども痛い。が、映画へ行って、遅い食事を香港在住の友達と食べて部屋に戻った。一人だと食べるきがせず、風邪も治らないだろう。これで大丈夫、と調子に乗って、夜、外出したら、テキメンに体調が悪くなってしまった。
22日、朝からどんよりとした天気で、午後から雨。まぁまぁの体調なのでMさんと待ち合わせて松岡さんのお見舞いに行った。手術の経過もよくて元気そうだった。お見舞いのあとは部屋に戻って休んだ。外出すると、どうしても体調が悪くなる。夜は7時から会合があるのでそれまで休んでいた。
- 2008/04/10(木) 16:14:42|
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Eigasai ha tokkuni dokoeyara. Anita Mui kankei no himitsu no atsumari ni honrou sarete imashita. Genchi no fan-shi no okagede, atsumari ga dai seikou ni owarimashita. Hong Kong no otenkiha mainichi no youni kirisame ga futte jimejime deshita ga, yatto sukoshi yokunarimahita. Watashi no taicho mo uwamuki desu. Ato futsuka kan Hong kong wo tanoshimutsumori desu.
- 2008/04/05(土) 12:36:41|
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Leslie Cheung no tenjikai he ittekita. Red Mission ga maitoshi okonau Leslie no tsuikou events ha totemo okane ga kakatta rippana monoda. Fan no kifu dake de koredakenokoto ga dekirunante Anita Mui no fan to shite urayamashii kagirida. Leslie no fan ha okanega ga ari, kare no tamenaraba kingakuwo itowanai. Soujite, dansei Idols no fan ha ninzuu ga ooishi, sonohito no tame ni tsukau okanega hannpajanai. Josei idols no fan ha kiwamete genjitsuteki de, tokuni, mou achirano sekai he hikkoshite shimatta Anita no fan no ooku ha mou kanojo ni kansurumono ni okanne wo tsukaitagaranai. Iya Anita ga katsuyakushiteirutoki mo kanojo ni kakawaru mono wo subete kau fan ha amari inakatta youda. Fan no chigai wo tsukuzuku kanjite shimatta.
Anita no nokoshita koueski ga Leslie ni otoru toha omoenai. Shikashi, fan power no chigai ha, rekizen to shiteiru. Imano momodeha Leslie wo shinobu "tsuide ni" Anita ga omoidasareru dake ni natteshimaisou na ki ga suru. Kanashii.....
- 2008/04/03(木) 16:19:06|
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