昨年の28日というか29日になって香港の宿に着きました。
29日は梅艶芳(アニタ・ムイ)ファンとともに行動することにして、夕方からダンスのレッスン(私は見学のみ)、みんなで食事のあと、アニタが亡くなった病院近くまで行き、その後、無人のアニタの家まで行きました。昨年は病室が開いていたので、ファンがその中に入れたのだそうです。今年は、あいにくと午前一時に患者がその部屋に入ったとかで、入られませんでした。といっても、私は単にファンについて行っただけだったので、病室に入ろうとしていることさえ知りませんでした。ラジオの追悼番組を聴きならが、アニタの冥福を祈りました。
30日はお昼に真善省堂へ行ってお参りをして、2時過ぎまで、ファンと一緒にお供物のお金を作りました。それから、星光大道(スター・アベユー)へいって、何とかというバンドがアニタの歌を歌ったり演奏するというので出かけましたが、ひどい出来で(どうもリハーサルだったような気がします)、4時ごろまでアニタの星型(手形もサインもないので何と呼んでいいのかわからない)のところでアニタをしのび、追悼会および展示の会場へ行きました。昨年まではアニタのコンサートをトリビュートしていましたが、今年は映画。結構珍しい写真もありました。追悼会は45分ほどで終わり、またもやスター・アベニューに戻って、そこで、何曲かアニタのうたを歌いました。近くで、バンドの演奏があって、リクエストに答えてくれたので、その演奏に合わせて歌ったのでした。通りがかりの人たちは、「あぁ、今日はアニタ・ムイの命日だ」と思い出したようで、言うなれば、そのくらいの反応しかなかったのです。でも、人だかりの中には観光客もいたので、アニタを知らしめる一端にはなったと思います。
31日はアニタ・ファンとカラオケでカウントダウン。外は物凄い人出でした。カラオケ中にちょっと外へ出て、「新報」というマイナーな新聞を買いにでたので、この人出のすごさがわかったのです。カラオケは朝の4時まで続きました。ファンはどこの国から来ても、思いは同じだと強く思いました。アニタの言葉や動きに反応したり、しぐさをまねしたり。この日ばかりは地下鉄が24時間営業していて帰りは楽でした。
元旦は、夕方から『男たちの挽歌3 アゲイン』の上映があったので、それまでは休んでいました。もう、体力が限界で、睡眠不足と疲れがどっとでて、更に夜風の寒さにさらされたことまであって、胃がむかつき熱まで出てしまいました。解熱剤を飲んで映画に行きましたが、画面はきれいなのに、フィルムがカットされていてちょっとがっかり。悲しいラストなので、泣いているファンがいました。
2日は休養日。3日、朝7時半に宿を出て、札幌の家には夜の9時半ごろに着きました。
以上、怒涛のようなファン行動でした。
- 2007/01/05(金) 17:53:49|
- 梅艶芳
-
-
| コメント:2
お疲れ様。
私はATさんほど、激しいスケジュールではなかったとはいえ、本当に2日の朝はものすごく調子が悪かったです。3日は会社を休ませてもらい、家でゴロゴロしたおかげで、やっと頭痛がとれました。やっぱり香港人って元気な人が多いよね。
でも本当に3年もたったんですよね。なんか遠い昔のことのようにも思えるし、あっという間だったようにも思います。
- URL |
- 2007/01/06(土) 09:54:57 |
- いく #2NKnmN5w
- [ 編集]