ムゲン・スペース・メモランダム

一度ファンになると、一生付き合っていくのが私のファン流儀。言い換えれば、そういう人しかファンにならない。私の世界はムゲン・スペース。夢中になれるって、しあわせ。

梅艶芳故事(アニタ・ムイ・ストーリー) 30

 香港・日本から戻ってきたばかりなのに、またぞろ、3月の末に香港、そして日本へ行くべく飛行機の予約をした。というか、行きは26日が取れたがも少し遅く行きたいので別の日をキャンセル待ちにして、帰りは5月1日が取れた。最近は予約をすると発券する日がすぐ来てしまう。一ヶ月以上家を空けるのは不安だが、仕方がない。ある人の結婚披露宴(26日)に出席してほしいと、といわれたからなぁ。それに出ると、どうしても帰りが1日になってしまうのだ。


 85年は東南アジアのほかにカナダ、アメリカやヨーロッパへもコンサート・ツアーにでかけている。このときもレスリー・チャンと一緒だった。雑誌のインタビューで、二人はまだ飛行機のファースト・クラスに乗れるほど有名ではなかったので、後方の席を取るようにして、交代で、どちらかが肘掛を上げた座席に横になり、一方が床に横になるようにして体を休めたそうだ。
 また、その当時はニューヨークのホテルは治安の悪い場所にあって、レスリーとアニタはいつものように続き部屋に泊まった。レスリーの言葉によると、アニタは少女小説など本を何冊か持ってきて読むのが習慣だったそうだ。ある夜、黒人がアニタの部屋に乱入してきて、アニタの悲鳴を聞いたレスリーは飛び起きて彼女の部屋に駆け込み、その男を追い払ったことがあるそうだ。その夜かどうかは定かではないけれど、アニタが寝入るまでレスリーが添い寝をした、ということもどこかで読んだ。
 ロンドンの会場ではあまりにもひどい音響環境にレスリーがリハーサルを途中でやめて楽屋へ引っ込んでしまい、アニタが後を引き継いでそれをなんとか耐えられる程度に調節してレスリーをなだめた、とか、シンガポールかマレーシアでのコンサートでは酔った観客がアニタとデュエットしたがって壇上に上がってしまったのをレスリーがすかさず割り込んで事なきを得た、とか、本当に二人は助け合ってきた。アニタの刺青やドラック中毒の噂さについても、レスリーは「アニタには刺青も注射のあともない」と擁護したりした。


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  1. 2007/02/08(木) 07:32:24|
  2. 梅艶芳
  3. | コメント:0
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 かつては、「スクリーン」や「ロードショー」などにハリウッド映画の記事を書いていたライター。あるときは[AT],あるときは[ブリジット・ファン]、あるときは[アニタ・ムイ・ファン]と、・・・つい、その場の思いつきでHNが増えてしまったが、これからはfanfunfuan。仁侠映画、林青霞、ジュリー・アンドリュース、山口百恵さんたちは私の「ファン殿堂入り」した人たち。現在は、亡き梅艶芳(アニタ・ムイ)さんに夢中。因みに、写真はアニタです。
管理人へのメールは私のHPこちらから。

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