トリノ・オリンピックのアイスダンスを見ていて、12年前、いや、22年前の84年サラエボ・オリンピックを思い出した。あの時のT and D(ジェーン・トヴィルとクリストファー・ディーン)のアイスダンスは素晴らしかった。今はアイスダンスのというよりもフィギュア・スケート全体の採点方式がすっかり変わって、もし、これが12年前のリレハンメルのときに採用されていれば トリノ・オリンピックのアイスダンスを見ていて、12年前、いや、22年前の84年サラエボ・オリンピックを思い出した。あの時のT and D(ジェーン・トヴィルとクリストファー・ディーン)のアイスダンスは素晴らしかった。あれから、アイスダンスのというよりもフィギュア・スケート全体の採点方式がすっかり変わって、もし、これが12年前のリレハルメルのときに採用されていれば・・・なんて考えた(彼らは銅メダルに終わった)。でも、テレビ中継ではあったけれども、リアル・タイムで彼らのアイスダンスを見たのだから、それだけでも価値がある。
リアル・タイムで見たといえば、ジュリー・アンドリュースのシーザス・パレスの公演にも行っている。65年の『サウンド・オブ・ミュージック』以来のファンだったし、76年に運良くロサンゼルスにいたから、ラスベガスまでグレイハウンド・バスで行ったのだった。しかも、特に約束をしていたわけでもないのに、シーザス・パレスのロビーで日本から駆けつけたファン・グループともばったり会った。確か、ショウは3回見たのだと思う。ジュリーさん(ファンになったときから、こう読んでいる))のラスベガス公演はこれが最初で最後。7日間限り14回のコンサートだったと記憶する。
それ以後、一度目と二度目の日本公演、84年ごろのグリーク・シアターなどに行った。ただ、残念なことに、彼女のコンサートは毎回ほとんど同じ構成なのだ。ジョークまで同じ。曲目が2,3曲違うだけ。お約束のアンコールはあるけど、それ以上はなかった。あ、カーテンコールはあった。そんな感じで、ウィルトン・シアターでのコンサートには行かなかった、というか、後で知ったのだった。それほど、失望しなかった。この頃から、彼女は私にとって「殿堂入り」のアイドルになってしまった。(「殿堂入りのアイドル」とはファンをやめたわけではなく、かつての熱心さはなくなったものの、センチメンタルな感情は常にあるという状態のアイドルのこと)
しかも、彼女がブロードウェイにカムバックしたミュージカル、「Victor/Victoria」にさえも行かなかった。まぁ、行けば行けたのに、これはいかに「殿堂入り」していたとはいえ、ファンとしては心得不足だった。反省しても遅いが。それ以後(97年の6月)、彼女はノドの手術をしてかつての美声を失ってしまったのだから、なおさらだ。あ、今は、鼻歌程度ならば歌えるようになっている。
テレビ出演も熱心に追いかけていない。テレビ・ドラマも見逃したものがある。日本へ行っている間に放送されたのだから仕方がないが、モーニング・ショウやトーク・ショウのゲスト出演も見たり見なかったり。ビデオに撮っているのは少ない。彼女の性格なのか、番組のホストがいけないのか、ほとんど同じことを話すだけだから。30年ぐらい前の「プレイボーイ」のインタビューが家のどこかにあるが、あれも、平凡なものだったなぁ。かなり、気後れしながら買ったのに。
こう思い出してみると、ボードビル育ちのジュリーさんには甘くて、私は百恵ちゃんに厳しすぎるようだ。どうしてだろう?
日本で「夕日之歌」を聞いて涙が出なかったのは、アニタ(梅艶芳)自身の歌声ではなくて琴と二胡の演奏だったここと、彼女の最後のコンサート「梅艶芳経典金曲演唱會」をライブで見ていないからかもしれない・・・なんて考えた。ともかく、彼女のコンサートは3度見ていて良かった。
- 2006/08/03(木) 07:24:12|
- J・アンドリュース
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