先日の日航機の中で『東京タワー オカンとボクと時々オトン』を見た。劇中、オカンが抗ガン剤治療を受けて、その苦しみをリアルに描いているシーンがあった。そのシーンはガンで亡くなった私の妹と梅艶芳(アニタ・ムイ)のことを思い出させて、見ているのがつらかった。
妹は病院へ行っていたにもかかわらず担当の医者の偏見でガン発見が遅れた。いくら妹がしっかり検査をしてほしいと頼んでも、「若いあんたがガンなわけないでしょ。仕事がつらくてやりたくないから、どこかがおかしいと思うだけ。痛いのは気のせいです」とさえ言われたそうだ。私は医者も病院も変えるべきだ、と電話で何度も勧めたけれども、妹は「だって、会社が紹介してくれた病院だから、それはできない」と答えた。担当医が夏の休暇をとったとき、別の医者が診察をしてかなりあわてていた、という。発見されたときはもう末期がんで、長くて3ヶ月の命と宣告された。私はそれを知らず、両親は妹にも何も知らせずにいたのだが、電話で「それはやっぱりガンじゃない?」という私に「ガンじゃないよ」と妹が答えているのを聞いて、そばにいた母は私には真相を話すべきだと思ったそうだ。妹には知らせない、という条件付きで。
私は急遽、9月末から始まるUCLAを一学期休学することにして日本へ帰った。東京の病院にいた妹を札幌の大学病院へ移し、家族ぐるみで看病した。妹が一人部屋へ移ってから、私はほとんどそこに寝泊りしていた。
見舞いに来た人の無神経さは耐えがたく、あまり本人に会わせないようにした。体調が悪いときに限って患者を「もの」のように扱う手荒な看護婦に当たる不思議さにはまいった。親切を装って新教宗教を勧める人もいた。こういうことは、経験してみなければわからないことだった。当時はインフォームド・コンセプトが一般的ではなかったので、一々質問する私は煙たがられた。知る権利がある、と考える私と、医者の言うことは絶対だと思う母。妹が私を信頼するのは当然だった。母には「日本人に戻って頂戴」と言われた。
末期ガンだった妹に抗ガン剤を使ったのは、大学病院だから仕方がなかったのかもしれない。その必要はなかったのだから。ただ、私たち家族は妹の激痛がそれによって少しは良くなるかもしれない、という淡い期待を抱いたのだ。妹は良く耐えたと思う。が、結局はモルヒネを使うようになり、年を越してすぐに、私は退学を避けるためにUCLAへ復学をしなければならなかった。今生の別れだとわかっていたが、言い残すことはないかとは聞けなかった。長く生きれば、それだけ苦しむことも知っていたから「がんばってね」と言わなかった。言えるはずがない。別れ際、私は妹と『E.T.』のなかの「指合わせ」をした。映画を見た方ならお分かりだろうが、お互いの頭(心)にいつまでもいる、という私たち二人の暗号だ。
それから、ほぼ一ヵ月後に妹は亡くなった。もう、あれから22年以上になる。私は姉らしいことをほとんどしたことがないし、妹は私よりも世の中を知っていたと思う。お互いを人間として尊重していたから、姉妹というよりもソウルメートだった。つい先ごろ、スピリテュアル・リーダーに「妹さんはいつもあなたの周りにいるし、あの世でも、一番に出迎えてくれますよ」と言われて、ほっとした。
妹に会ったら、いろんなことを話さなくては。中でもアニタのことを言わなくちゃ…と思ったが、もう二人は天国で会っているだろうな。
- 2007/08/14(火) 14:24:08|
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| コメント:2
妹さんはソウルメイトだったんですね。
ステキなお話です。
私は父を癌で亡くして丸3年経ちました。
アニタの翌年だったわけで。
まだ『東京タワー オカンとボクと時々オトン』のような映画をどうしても見ることができませんのよ。
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- 2007/08/17(金) 07:53:59 |
- もにかる #-
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