5月11日は母の日。私は改まって、母に感謝の言葉を述べたことがない。何となく気恥ずかしいからだ。私のうちではプレゼントのやり取りは子供の頃に終わってしまったので、花さえも贈ったことがない。母と私は考えかたが全く違うし、生き方も違う。長年の間に、お互いを受け入れるしかないと悟ったから、今では、意見の違いがあっても、仲良くしている。とことん突き詰めて分析すれば、私と母は全く違う人格なので、妥協して生きていくしかない。だが、そこには親子という肉親の「無償の愛」も確実に存在する。そのお陰で私はアメリカで自由に暮らすことができたし、夢だった本も(自費)出版することができた。
このところ、アニタ(梅艶芳)の遺書をめぐっての法廷のレポートを読んでいると、アニタは肉親の愛にも恵まれなかったのだなぁと思う。アニタを生んだ母親は娘が残した財産は全て自分が貰う権利があると考えているらしい。その財産を残すために、娘がどんな思いをして生きてきたのかは関知しないようだ。権利だけを考えれば、確かに生みの親はその子に配偶者や子供がいない限り全財産を譲り受けられる。だが、アニタの場合、彼女は母親が生存する限りその生活費は毎月供給するが(初めは月に香港63000ドルで今では120000ドル)、残りの財産は彼女があげたいと思う人や団体に行くようにという遺書を残した。つまりは、これがアニタの母親に対する思いの表れだろう。子供としての義務だけは果たす、ということだ。それ以外に母親はアニタの生命保険なども受け取っているから生活に困ることはない。
骨肉の争いは他人には分からないところがある。アニタの場合は有名人だったから、母との関係についてかなりの部分が報道されているし、アニタも率直に認めている。つまり、アニタと母親は金銭的な問題があったりして、うまくいっていなかった。アニタは母親の作った借金や長男(アニタの兄)の保障人にになって作った負債を肩代わりしたとか、お互いに口も聞かない時期もあったとか、それを反省して時々は電話連絡をするようになったとか。母は誕生日に高価なプレゼントを貰ったとか、毎日、漢方のスープを作ってアニタの家に届けている、という報道もあった。親子の情、というものはそこには出てこない。生んで育てた、とうことが愛情なのだろうか?それは親としての義務だろう。愛情は義務とは違うはずだ。今こそ、母としてアニタの遺志を尊重してほしい、と望むだけムダなようだ。目の前にぶら下がっている大金に目がくらんでいる。もし、勝訴したとして、今までの弁護士代を払って、税金を払って、実際にいくら手に残るのか、とても知りたい。この世に正義ってあると思う。
- 2008/05/12(月) 09:27:10|
- 梅艶芳
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