先日、純子さんが出演したフジテレビのドラマ『眉山』を見た(日本では4月4日に放送)。冒頭、入院先の医者と看護婦に対して威勢のいいタンカを切るシーン(ヨッ、音羽屋!、あ、違った)があって、おぉ、懐かしや、と思った。髪もショートヘアをオールバックにしているから、なお更、「お竜さん」みたいだった…(このタンカのシーンで自分のことを”オリュウ”と言っていた気がするが、じつは”オタツ”さんという役名。)と言いたいのだが、私は『日本侠客伝 昇り龍』の”蝶々牡丹のお京”さんを連想してしまった。何故か分からない。”オタツ”さんは末期の肝臓ガンで、一人娘(常盤貴子)を女でひとつで育て、何故、東京からわざわざ徳島に移ってきたか、娘の父親は誰なのか、が分かっていく。娘は自分を父親も知れない私生児だと思い込んでいたが、実は母には秘めた恋があり、その結果自分が生まれたのだと知る。その相手が徳島出身だった。男(山本学)は当時、振られたのだと思って見合い相手と結婚していたが、実は、母が芸者の自分とは不釣合いだと身を引いたのだった。ラスト近く、”オタツ”さんは長い間思い続けた人の腕の中で息を引き取る。
あぁ、やっっぱり、これは”蝶々牡丹のお京”さんだった。映画のお京さんが現代にも生きていたら、きっと、こんなふうなドラマになっただろうなぁ、という展開だった。私のカンもまんざらではない。(と自慢をしても、東映の任侠映画を見たことがない人にはわからないだろうけど)
『日本侠客伝 昇り龍』は純子さんがこの映画に出演することができたので女優をやめてもいい、と決心した作品。山下耕作監督にお話を伺ったときも、「あれは健ちゃんの映画なのに(シリーズは高倉健のものだった)、純子の映画みたいになってしもた。健ちゃんには悪かったけど、純子は輝いていたなぁ」と述懐していた。
ドラマは惜しくも夏の徳島なのに、蒸し暑さが全く感じられない(撮影は3月ではなかろうか)ものだったが、まぁ、よくできていた。私は、ドラマのでき不出来よりも、”オタツ”さんが末期ガンで亡くなるという設定が私はいやだった。たとえ、演技といえども、ガンで亡くなるという役は見たくない。現実的過ぎるから。映画やドラマは虚構の世界、と十分に承知はしているのだが、純子さんが出演しているとどうしても個人的な感情が入ってしまう。
アニタ(梅艶芳)の映画でも、『アゲイン 明日への誓い(男たちの挽歌 III)』だと平気で見ていられるのだが、『夜間飛行』のラストは見たくない。これは病死ではないし、同じく銃で撃たれて死ぬのにもかかわらず、だ。アニタの役が本人にかなり近いものだったからだと思う。アニタが亡くなる前に見たのに、ラストには抵抗があった。私はこの作品でのアニタが非常に好きなのだが、何度も繰り返して見ないのは、あのラストの死に方が原因だ。
- 2008/05/13(火) 06:00:38|
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