ムゲン・スペース・メモランダム

一度ファンになると、一生付き合っていくのが私のファン流儀。言い換えれば、そういう人しかファンにならない。私の世界はムゲン・スペース。夢中になれるって、しあわせ。

引越し荷物 34 梅艶芳故事 5

  ここ2,3日、猛烈に暑い。ニュースではSCORCHINGといっている。こげつきそうな暑さということだ。あついことならSIZZLINGともいう。が、これは熱い方によく使う気がする。でも、じりじりとした暑さにも使える。昔、オードリー・ヘプバーンの主演作で『パリの恋人』というのがあったけど、原題はPARIS WHEN IT SIZZLES っだったもの。郊外では山火事があったあとに、雷を伴う豪雨があって、洪水注意報が出た。TVの画面に警報が出っぱなしだった。草木が燃えた所に雨が降って、地すべりや鉄砲水の心配があるそうだ。雷が落ちて燃え盛る木、遠くの空に次々と現れては消える稲妻、それらを、エア・コンが効いた部屋のテレビで見ている自分。電力の消費がうなぎのぼりだそうで、こういう状態が続くと、電力不足で時間限の停電になるかもしれない。天が怒っているようだ。
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アニタ・ムイ・ストーリー (つづき)

 アニタには14、15歳になるまで友だちがいなかった。母が友だちを持つのを禁じていた、とも言う。母の心配は「悪いことを覚えないように」で、片親だから悪事を働く子供になったと言われないように厳しく善悪を教えた。「よく母に反抗した」というアニタだがこの点だけは母に感謝している。「私のような複雑な環境で育てば、グレて道をはずした生き方に落ちて行くのは簡単だった。そうならなかったのは母が厳しかったからだ」と。アニタは学校へ通いながら、夜、レストランやクラブなどで歌わなくてはならなかった。夜中に家に戻って、朝がきたら学校へ行くという生活だったから、授業中に居眠りをして良く先生に叱られたそうだ。勉強も遅れがちだった。 宿題をする時間も、それを見てくれる人もいなかったのだろう。
 クラスで先生から「梅艶芳!」と厳しく叱られるのが恥辱的なことなら、それ以上に、クラスメートから受けた仕打ちはアニタにとって屈辱的だったと思う。彼女の心に傷となって残った。アニタが8歳くらいになったときだという。おそらく、この頃から本格的にナイトクラブやレストランなど、午後から夜中にかけて歌っていたのだろう。彼女の素性を知ったクラスメートの親たちが一緒に遊ぶことを禁じた。アニタが仲間に入れてもらおうと近づくと、みんながその場から離れてしまうのだ。歓楽街にあるナイトクラブやレストランなどで歌っているあの子は、どんな悪いことをしているかわかったものではない、一緒に遊ぶなんてとんでもない、というわけだ。アニタは孤独だった。黙って、級友たちが遊ぶところを見ているしかなかった。それに、BBQやキャンプなどの学校行事にも参加したことがない、そうだ。
 しかも、彼らは彼女を「シィウコーロイ/小歌女」と呼んだ。子どもの歌い手、と言う意味以外に、蔑称の意味があるのだと思う。親たちがそう呼んだから、クラスメートも真似たのだ。日本では大道芸人を「河原乞食」と呼んで蔑んだ歴史がある。香港にも芸を売る、歌を歌ってお金を得ることは「まっとうな人がすることではない」という意識があったのだろう。差別されることが、どれだけ悲しいことだったか、台湾の番組で当時を再現した寸劇を見ていたアニタの眼に涙がにじんだところを見たことがある。親しい友人の追悼や自分のコンサートで涙を流すことはあっても、個人的なことでは滅多に、しかもテレビカメラの前で涙を見せることがないアニタが、である。
(参考:http://www.youtube.com/watch?v=FY5BLq_TvNU&search=Anita%20Mui)

 アニタは孤独の中で成長した。
 だから「4歳のころから独立心があった」というのもうなずける。女手ひとつで一家を支えていた母は外で働き、アニタが何か話しかけても「お黙り」と言って黙らせた。兄や姉は年上すぎて、話し相手になってはくれなかった。後年になってアニタは、「それ以後、母とどんな会話をしていいのか分からず、何も話さなくなった」と言っている。アニタに初めて友たちができたのは14,15歳のころで、ようやく心の底から話し合える相手ができて、ずっとおしゃべりをし続けたそうだ。もっとも、アニタは「子どもの頃は忙しくて、友だちがいても付き合う時間はなかっただろう」とも回想している。ただし、アニタに選択の余地はなかった。
 プロになってすぐの頃は知らないが、アニタにはいつも「取り巻き」がいたことで知られている。それに、ショウ・ビジネス界でアニタほど“朋友”が多かった人はいないと思うが、それは以上のような理由からだ。「来る人は拒まず」という精神だったのだろうと想像がつく。ただその一方で、子どものころに同年代と遊んだことがなく、グループ活動にも参加したことがない、というのは正常な友人関係を築く上で欠落した部分があった気がする。アニタの”朋友“の中には、本当に彼女のことを思う友人も含まれるが、下心があったり、彼女を利用したり、だましたりした人たちもいた。驚くべきことは、アニタはそれについて一度も愚痴らしきことを言ったりはしなかった、ということだ。そういう人たちでも、友だちがいないよりはいた方がよかったのかも知れない。
 以上のことだけでも、アニタが過ごしてきた子ども時代は普通の子どもと随分違うが、これに環をかけた悲惨なことがあった。
(2006年7月23日)
  1. 2006/08/03(木) 08:53:54|
  2. 梅艶芳
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Author:fanfunfuan
 かつては、「スクリーン」や「ロードショー」などにハリウッド映画の記事を書いていたライター。あるときは[AT],あるときは[ブリジット・ファン]、あるときは[アニタ・ムイ・ファン]と、・・・つい、その場の思いつきでHNが増えてしまったが、これからはfanfunfuan。仁侠映画、林青霞、ジュリー・アンドリュース、山口百恵さんたちは私の「ファン殿堂入り」した人たち。現在は、亡き梅艶芳(アニタ・ムイ)さんに夢中。因みに、写真はアニタです。
管理人へのメールは私のHPこちらから。

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