子どもの頃の夢
子どもの頃を振り返って、アニタは「色々なことを想像するのが好きだった。10歳になる前から、自分のソロ・コンサートはどんな感じの舞台セッティングがよいとか、こんな感じで歌おうか、衣装はどういうふうにしよう・・・というようなことを想像していた」と話している。それは、スターになりたいと言う欲求よりも、現実逃避の「白日夢」だった。時代物のドラマや映画をテレビで見て、棒を振りまわして真似をしてはよく家の中のものを壊したという。それで、また、母にはたかれた。
アニタの幼い頃の夢は、もし学校へ続けて行けていたら、話だが、第一に弁護士か検事のような法律をつかさどる職業につきたかったそうだ。警察官でもよかったようだ。これは彼女の星座がてんびん座で「正義感が強い星の元に生まれたからだろう」と言っている。が、私はそれをもっと深読みしたい。アニタは人前で歌うようになって、チンピラやヤクザなどの嫌がらせを受けたし、イベントなどで歌っていたときに騙されたり、不当な扱いを受けたこともあったと想像する。直接、彼女の身に起こったことではなくても、母や周りの人々がそういう眼にあうのを見ていたに違いない。そのときに、おそらく、彼らは泣き寝入りすることが多かったのではなかろうか。子どものアニタはそういうことに対する嫌悪感が強くなった。だから、正義を貫けるように弁護士や警察関係の仕事に憧れたのだろう。
二番目は美しく着飾るのが好きだからファッション・モデルになりたかった。しかも、モデルになればお金を払わなくても着飾ることができる。ただし、身長が167cmのアニタは「あと5センチくらい背が高かったらよかったのに」と言っている。彼女は顔が小さいし、肩幅が狭くて、俗に言ういかり肩だし、手足が長いし、やせていたし、典型的なモデル体型をしていた。どんな衣装を着ても、着こなせた人だ。彼女のニックネームの「百變」はあの体型なくしては成功しなかったと思う。そうそう、ご存知の人もいるだろうが、アニタはミルキー・スキンというのだろう、抜けるような色白だった。
三番目はダンサーになりたかった。アニタは人前で自分の内なる感情をからだ全体で表現することが好きだった。得意だったというべきだろうか。バレエかジャス・ダンスを正式に習おうかな、と考えたほどだ。私が「歌と演技とどちらが好きか?」と聞いたとき、彼女は即座に「ダンス」と答えたことを思い出す。子どもの頃からダンスが好きで、パーティがあると聞けば誰かにくっついて行っては、みんなが帰ってしまっても踊り続けていたという。80年代のディスコ全盛のときは、お酒を飲むよりもダンスが目的で行っていた。友人の楊紫瓊(ミシェル・ヨー)と3時間半ぶっ通しで踊り続けたという記録を持っているほどだ。日本に来ても、六本木のディスコには良く行っていたそうだ。
ようやく四番目に歌うことがくる。歌うことは好きも嫌いもなく、気がついたときはもう人前で歌っていたアニタなので、歌うのが好きなのだ、と実感したのはかなりあと、一時、ステージから引退して歌わなくなってからだそうだ。自分の声が低音で男性ボーカルのようなのも、あまり好きになれなかった理由だという。それに、一時引退までは、常にヒット曲を出さなければならないというプレッシャーが大きかったのだろう。気に入った曲だけ歌うこともできなかった。しかし、歌わなくなってみると何か物足りないと感じたのだ。
アニタの子どもの頃の夢は四つのうち三つが叶ったといえる。というのも、香港の演唱會はただ歌うだけではなくて、ダンスと衣装が重要な要素だ。そういう意味でいうと、アニタのステージはファンの夢だけではなくてアニタ自身の夢も叶えている。いやいや、彼女は映画にも出演していて、悪を懲らしめる正義感の強い役を演じている。弱くて、権力に屈する役はほとんどないのではなかろうか。現実では実現できなかった夢も映画の中では叶っている。
- 2006/08/05(土) 17:27:32|
- 梅艶芳
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