このところ、底冷えのする夜が続いている。今年もあと10日余りだ。夜、運転をすると、いろんなところでクリスマスの飾りつけをしているのをみる。友人の家も飾り付けをしたというので見に行った。部屋の照明がいらないくらいに明るい。暖炉もあるし、クリスマスや大晦日にお邪魔してDVDを見たり話し込んだりするのが恒例だが、ここ2,3年の私は香港へ行くようになって欠席が多い。一人身の女たちが集まるのでこれを「ロンリー・ハーツ・クラブ」と呼んでいる。
1985年の続き。
さらに、アルバム『壊女孩梅艶芳』が駄目押しの満塁ホームランになる。これは40万枚も売れたのだ。香港では5万枚売れるとプラチナ・アルバムになる。このアルバムはその8倍売れたので、「八白金(ヤッパッカム)」と呼ばれている。彼女のキャリアで最も売れたアルバムだ。それもヒットしたのはどれも広東語カバーの歌だ。中でもシーナ・イーストンの「Strut」のカバー「壊女孩」と近藤真彦の「夢伴(きずな)」のカバー「夢伴」が爆発的な大ヒットになったのだ。その上、コンサートなどでよく歌われる「冰山大火」(山口百恵の「ロックン・ロール・ウィドウ」カバー)、「孤身走我路」(これも山口百恵の「This is Trial」のカバー)、マドンナの「Into the Groove」のカバー「抱[イ尓] 十個世紀」も含まれているし、近藤真彦の「情熱☆熱風セレナーデ」のカバー曲「魅力的散發」と同じく「男が泣く女が泣く」のカバー曲「癲多一千晩」もそれぞれヒットした。要するに、ヒット曲満載のアルバムになったのだ。

当時は、濃い化粧や肩パットが流行していた時期で、アニタはそれをさらに大げさにして、横一直線の太い眉、三層の肩パットを入れたいかつい肩、という、どぎついというかドハデというか、見方によれば故意に醜くしたようないでたちで歌った。しかも、それが香港の若い女性に受けて流行ファッションになった。アニタのユニ・セックス・ルックもどぎついメイクも、当時の女性たちに「何でもありなんだ」という新しいメッセージになる。「壊女孩」の歌詞も「服を通してあなたの体温が伝わってくるのは何故」というような当時としては過激な内容で、世の教育者たちは顔をしかめた。事実、「壊女孩」は<バッド・ガール>と言う意味で、中国本土では「禁止歌」になった。しかし、アニタの歌やルックスに共感した若者は「Why, why tell me why」と歌い続けたのだった。台湾でのテレビ・インタビューではインタビュアーが香港へ行ったら、若い女性の眉がみんな太い一文字で驚いた、と語っている。
ちょっと横道にそれるが、周星馳(チャウ・センチー)主演・監督作品の『少林サッカー(少林足球)』(01)の中で、相手役の趙薇(ヴィッキー・チャオ)が太い一文字眉に濃い化粧、おまけに肩パットが入った服装で登場するシーンがある。当時のアニタ・ムイを知らなければ、あれはチャウ・センチーのユーモアでアニタのパロディなのだと観客は理解しないだろう。この濃いメイクについて「家で何もすることがないときはファッション誌を見てはメイクを真似していた。それで、自分でいろいろと眉を描いているうちにあんなに太くなってしまった」とアニタは振り返っている。
- 2006/12/19(火) 13:11:28|
- 梅艶芳
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