4月15日からアニタ(梅艶芳)の母と兄の梅啟明が起こした訴訟についての審議が始まった。私の理解で要約すると、彼らはアニタの遺書は彼女がその内容を明確に把握しないまま作成しサインをしたものだから無効である、と訴えたのだ。これによって、今まで、あまり知らされなかったアニタの「最後の一ヶ月」の状況が白日の下にさらされてしまった。私はアニタの遺書が有効か無効かよりも、このことに心が痛む。
遺書は故人の遺志だから、尊重されて当然であるし、されるべきものだ。しかし、現実はその遺書を作成したときの状況によって、故人の遺志が尊重されないことが多いそうだ。遺書は法的な手続きにそったものでない限り有効にはならないからだ。普通の遺書は裁判によって破棄される可能性が高い。
アニタは生前から自分の母親にたいして子供としての義務と責任を感じていた。しかし、それ以上のことは、色々な経緯から、感じられなくなっていたようだ。特に、金銭管理を任せられないと知っていた。だから、財産管理は専門家を雇って、その人たちにしてもらうように遺書を残した。彼女の直接の心配は、もし、法で決められた財産が母親に渡れば、その大半は兄の梅啟明が使ってしまうことだっただろう。それだけは、絶対に避けたいことだった。アニタは兄の梅啟明から煮え湯を飲まされていたし、そういう事情があっても母親は兄の言いなりだったから。事実、アニタが亡くなって逃亡先から舞もどった長男家族を母親は養っているそうだ。その毎月の経費はアニタの遺産から支払われている。彼らは、アニタを「金がなる木」としか考えていないようだ。
もし、この裁判でアニタの遺書が無効になった場合、あちらの世界に引っ越してしまったアニタは悲しむだろうか?生前にできる限りのことをして旅立った彼女は、もう、こちらの世界のドロ沼のような状況には関知しない気がする。血と汗と涙で残した遺産であっても、今のアニタは達観していると思う。
それにつけても、病状の悪化と投薬の作用でアニタには正確な判断力がなかった、という争点は、やはり故人を冒涜していると思う。アニタの母親や兄はどこどこまでも見下げた奴等だ。
- 2008/04/26(土) 18:18:35|
- 梅艶芳
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香港で購入した『川島芳子』のDVD/VCDを札幌の自宅でちょっとだけチェックした。両親が寝てしまってからしか、DVDプレーヤーを使えないので、そうなってしまったのだが、今回買ったDVD/VCDは、今までに発売された物と少し違っていた。
注目のラストは主題歌が流れているものの、処刑されてから約10秒あまり青いスクリーンだけの画面になるのは同じだった。つまり、サルを肩にのせて、ネオンがともる渋谷の町を歩く芳子…、というシーンはない。が、映画の始めに芳子が中国の警察か軍部の公安かよく分からないが、ある屋敷に入って、芳子を見つけるシーンがあった。そのときに、彼女のペットのサルが撃たれて死ぬ。それと、「1940年松本」というサブタイトルが出て、松本の養父の家にいる芳子のシーンがあった。
過去に発売されたこの映画のDVD/VCDは全てLAにあるので、帰ったら早速調べてみようと思う。ただ、この映画を何度も見たというファンに聞くと。少なくても、ファースト・シーンは今までのDVD/VCDにはない、という。
私は渋谷のシーンがあるものがディレクターズ・カットだと考えていたが、それが分からなくなってきた。色々なバージョンを撮ったのだろうか?何のために?謎は深まる。
追記:やはり、JOY SALESバージョンは2つの新しいシーンが入ったDVD/VCDだった。(4月21日)
- 2008/04/18(金) 16:45:31|
- 梅艶芳
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サイドバーにある電影宣伝自由人、FREEMANさんの
ブログ によると、とうとうキングレコードからアニタ(梅艶芳)とチャウ・センチー(周星馳)が共演したコメディ『審死官』のDVDが今年発売されるそうだ。香港では爆発的なヒットを記録した作品だが、私はイマイチその面白さが分からず、アニタのアクションとチャウ・センチーとの絶妙な漫才ぶりを楽しむだけだ。もっとも、面白さの大半は機関銃のように話される広東語の台詞だから、イマイチというのは私以外にもいると思う。日本語の字幕が付いても、それが解消されるかどうか分からないが、少しは理解が深まるかもしれない。FREEMANさんが関わっているので、映画そのもの以外にも何かサプリメントが付くことを期待する。
それから、アニタの映画デビュー作『瘋狂83』は誰に聞いても持っていない、という答えだったが、ようつべにアニタが出ている2シーンをアップロードした人がいる。奇特なお方だ。どちらもアクション・シーンでアニタは警防か何かを振り回して悪をやっつける警官の役。何事もあきらめてはいけない、という私のモットーがまたしても証明された。リンク先?あとで、ね。
追記;
ここ と
ここ
- 2008/03/13(木) 15:58:35|
- 梅艶芳
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アニタ(梅艶芳)が歌う旧正月の歌はほかにもあった。
これがそれ。TVBは膨大にあるクリップを小出しにしている。それも、TVBのケーブルに加入していないと見られないチャンネルで放送している。商売上手というか、放送されないよりもマシと思うべきか。細切れにしないでドーンと放送してくれないものかなぁ。と言うものの、私は誰かがネット上にアップしてくれるのを待つか、ダビングのコピーをしてもらうか、「他人頼み」でしかないのだが。
- 2008/02/11(月) 13:36:09|
- 梅艶芳
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A Happy Chinese New Year!
旧正月の歌、というものがあることを知らなかった。レスリー(張國榮)の追悼番組で彼がアニタ(梅艶芳)とデュエットしていた曲が、それだったとは。「歓楽年年」という歌だ。
ここで見られる。日本にもお正月の歌ってあったような気がするが、全然思い出せない。
その国の人には言わなくてもわかることが、外国人だと全くわからないことが良くある。確か93年のTVBバラエティ番組「翡翠群星慶吉祥」の司会をアニタがしたとき、ラストでイントロを聞いただけでその歌をうたうというゲームがあり、彼女は問題なく歌った。私には曲名がわからず何かインドのメロディみたい、と思っていたら、香港のファンにサム・ホイ(許冠傑)の歌だよと教えられた。そうか、私はサムの歌はほとんど知らないからなぁ。
ただ、香港のアニタ・ファンにとってアニタがコンサートで「痴痴愛一次」を歌うと非常に受けるのはどうしてなのか、わからない。あまりライブで歌わなかった歌だから、とは言われたのだが、そういう歌は良くあるから、どうしてこの歌だけがどっと涌くのかなぁ。確かに、87-88年のコンサートで歌っているのだが、LD/ビデオではカットされていたけど。それに記憶に間違いがなければ、94年の「感激歌迷演唱會」でも歌っていたはずだ。これも、TVBの放送ではカットされていたが。ウーン、だからかなぁ。
- 2008/02/06(水) 11:00:17|
- 梅艶芳
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アニタ(梅艶芳)のコンサートを大陸の某サイトからダウンロードして、それをバックグラウンド・ミュージックとしてかけていた。何と贅沢なことだろう。この87-88年演唱會のファイルは楽日のもので、市販されているLD(たったの90分しかない)よりずっと長い。が、完全版ではない。本来なら3時間半近くあったはずのものが、2時間半くらいしかないからだ。途中がごっそり抜けている上に、ラストのアンコール部分が尻切れトンボになっている。おまけに、ファイルは画像が悪くシンクロしていない部分もあるので、プレイヤーにかけていたものの画像を注視せずに音だけを聞いていたのだ。
このコンサートは28回行われて、当時の記録を作った。楽日だからゲストが多かった。まず正式ゲストのサム・ホイ(許冠傑)と「IQ博士」を軽くデュエットしてあとはサムに舞台を譲る。彼はギターをかかえて話しながら、ワンコーラスくらいずつだが数曲歌った。エリック・ツァン(曾志偉)とアルバート・チャン(陳友)が現れて場内を沸かし、さらに、コンサートの終わりの方でコンサートを見に来たゲストたちを舞台に上げて「朋友」を歌い、アラン・タム(譚詠麟)と「幻影」をデュエットした。
コンサート自体はその当時の典型的な、つまり衣装を何度か変えて歌って踊る四面コンサートだが、アニタは絶好調というか、どの歌も見事に歌いきっている。あぁ、本当にこの人は歌がうまい!音程がぶれない。声にも伸びがある。惚れ惚れしながら聞いていた。いつか完全版を見てみたい。
- 2008/02/02(土) 17:04:07|
- 梅艶芳
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ただいま、成田空港。あと、15時間位でLAの家に着く。行きはよいよい、帰りは怖い…、とは良く言ったものだ。
これから9時間以上も飛行機に乗らなくてはならない。あと何度、往復するのだろうか?
今回はかなり長く実家にいて、里心がついてしまい、LAに戻るのが億劫だ。
山のようにある、紙類(本、雑誌、新聞、その他もろもろ)の整理を考えると頭が痛い。
- 2008/01/22(火) 16:41:23|
- 梅艶芳
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先週の今日、テレビで『酔拳 2』のテレビ放映があった。日本語吹き替え版で、日本で市販されているDVDとは違うようだった。サイド・バーにあるanitamuijapanさんのブログに、この映画の」ロケ撮影に行ったときの様子が過去に書かれていた。どのシーンだったのかなぁと思ったら、日本ではカットされた「問題のシーン」を撮影しているところだったとか。私は、幸い、大陸版のDVDを持っていて、そのシーンを見ている。
テレビ放映ではNGシーンがなくて残念だった。どうも、英語版のプリントみたいだった。
以前にも書いたことがあるが、この映画の中のアニタ(梅艶芳)はとてもはじけていて、そのコメディアンヌぶりが遺憾なく発揮されている。後で知ったのだが、アニタは自分がどんな役なのかを知らずに、スタントマン協会(正式な名称は知らない)の基金集めの映画と聞いただけで出演をOKしたのだそうだ。継母とはいえジャッキー・チャン(成龍)の母親役とは、彼女自身も驚いたそうだ。でも、違和感がなかったのは、さすがというべきか。考え付いたジャッキーも、それを見事に演じたアニタも。
- 2008/01/17(木) 15:52:50|
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12月28日 同じゲストハウスに「日本人の男性が泊まっている。アンタと同じ時期に来て映画を見に行っているそうだよ」とおばさんに言われ、その方を訪ねてみる。なんと共通の知り合いがいた。世の中狭い。油麻地の図書館へ行ってみるが、私が見たいと思った新聞のマイクロフィルムはセントラル(中環)の本館にしかなく、それもすべてがあるわけではないので電話で問い合わせてから行ったほうがよい、といわれる。夕方からCAFEへ。顔見知りのアニタ(梅艶芳)・ファンが数人集まって「鍋パーティー」をするというのので、私も仲間に入れてもらう。CAFEに集まる人たちの顔ぶれはほとんど決まっているが、今日はフリのお客さんが来た。シンガポールからのアニタ・ファン三人と台湾からのファン一人。
CAFEに羅君左(アニタと昔からの知り合い)が書いた本があったので買う。夜遅く、彼が来るからサインしてもらえば?といわれたが、都合で彼は来なかった。
12月29日 午後一時からアニタの特集番組をTVBの有料ケーブルで放送するというので、anitamuijapanさんのお宅へ行き鑑賞。初めて見るクリップがあった。これは来週に後編が放送されるという。その録画をお願いして、一度宿へ戻る。夜、ファンクラブ主催のビデオ鑑賞会。アニタに関わるものはなんでもそうだが、今回も貴重な映像だった。その後、CAFEに行った。ただし、アニタが亡くなった2時25分(by羅君左。午前2時50分というのは公に公表するときに統一した時間)は部屋で静かに黙祷した。
アニタのファンになってから、新しいメンバーを入れないという排他的な会ではあるが、ファンクラブ主催のイベントにはできるだけ参加しようと決めた。主役がそこにいないのは残念だが、同じファンが一堂に会してアニタをしのぶ、ということに意義があるからだ。だから、ビデオ鑑賞会の内容が、たとえつまらないものであっても、集まったファンが同じ場所で同じものを見る、という楽しさを味わうべきなのだ。私が、このしぐさがいいなぁ、と思っていると、同様の反応があったりするのが楽しい。ファンは大体同じことを考えているのだ、と実感する。
12月30日 省善真堂に9時過ぎについたら、まだ、ファンがお花やアニタが生前好きだった食べ物をお供えしている最中だった。あら、9時半集合じゃなかったの?まぁ、いいか。結局、バス2台に分乗してランタオ島の寶林寺に向かったのは10時45分。寶蓮寺についたのは12時ごろで、バスで行くのだからあの250段以上の階段を登らなくてすむかもと期待していたが、やはり、自力で登らなければならなかった。フーフー、ゼーゼー言いながらアニタのタブレットの前に行くとすでに、50人以上のファンがいた。香港へくると、ここと省善真堂の両方か、どちらか一方は必ず来てお参りをしている。参加者は100人に満たなかったが、ファンがこれほど集まってお参りするのは一回忌以来ではなかろうか。その後、食事をして解散。
その日の夜、フリンジ・クラブで追悼会。アニタをしのぶ映像に涙するファンがいた。前日CAFEで会った人たちも来ていた。
追悼会の前に軽く食べたのでそれほどおなかがすいていなかったが、芳心薈(MUI NATION)の何人かに食事に誘われたのでの我々日本人ファンも参加した。結構食べてしまった。そして、またまた、私はCAFEへ。CAFEも10月10日、12月29日と30日はお休み、と言っていたが、結局、集合場所に都合がいいので、この二日間はあけていた。
12月31日 寝不足が続いたので10時過ぎまで寝ていた。夕方から、10年以上も前に知り合ったチャン・ポーチュウ(陳寶珠)ファンとアフタンーン・ティ。映画祭で知り合った。私にとって初めての香港人の友達。その後、まったく予定がなかったので再び、CAFEへ。すると。「アニタ 人生ゲーム」の創作者たちがきて今夜はゲームをするのだという。当然、私も参加した。これで、念願が叶った。アニタのCD、写真、ポスター、彼女が載っている雑誌・新聞などを買うほか、アニタに会えたときのために、プレゼントや花束はもちろんのこと、写真を撮るためのデジカメやサインをもらうためのペンを買う。そうして、アニタファン度を競うわけだ。途中で、カウントダウンのテレビ中継を見た。時代広場へ行き着けなかった人たちが、CAFE(日本流にいうと3階にある)から見える。ゲームを終えて部屋に戻ったのは午前3時過ぎ。MTRが24時間動いているのがありがたい。
2008年1月1日 ほとんど眠られず、7時過ぎにチェックアウトして空港へ。行き帰りも香港ー成田間は満席、と言われたいたが、それは、旅行社が押さえていたからだ。7割くらいしか乗っていなかった。しかも、日本での入国検査は日本人のところがガラあきでまったく待たなかった。その代わり、外国人のところは長蛇の列。成田から羽田への移動も、国内線もすいていて、実にスムーズ。千歳行きの飛行機も無事飛んだが、札幌へ向かう途中から激しい雪になった。ともかく、夜の9時半ごろ家に着いた。
今年は私自身の大移動があるので10月と12月に香港へ行けるかどうかわからない。が、3月下旬から4月上旬にかけての映画祭期間は行く予定だ。今年も、香港は行ける時に行く、がモットーだ。
- 2008/01/09(水) 14:50:15|
- 梅艶芳
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12月24日 夜10時半ごろ香港着。エアポート・バスに乗って宿舎の近くまでスムーズに行ったが、クリスマス・イブでネイザン・ロードが歩行者天国になっている。ものすごい渋滞。おかげで、午前0時ごろ、やっとたどり着く。
12月25日、 夜早めの食事をしたあとanitamuijapanさんとCHEERFUL CAFEへ行く。顔見知りのアニタ(梅艶芳)・ファンが10人ほどいて、今、「アニタ人生ゲーム」(アニタ・ファンが作ったゲーム)が終わったところだという。私はこのゲームにはニア・ミスで初める前か終わったあと、ということばかり。いつかは絶対プレイするぞ! クリスマスのアニタ・ゲームはまだまだ続き、広東語のわからない私がanitamuijapanの助けを借りて、問題を言う、という趣向になった。なにしろ、アニタのことなら歌詞、歌の題名、映画のタイトルは熟知している人たち。単純な質問では面白くないので、私が棒読みの広東語を言って、それに続く歌詞を言うというゲームになった。これがかなり盛り上がった。私もアニタ関連のプレゼントをもらってしまった。
12月26日 沙田にある香港文化博物館へanitamuijapanさんと一緒に行く。アニタの展示物は他の歌手と比べると少ないが(つまり、博物館にアニタにかかわるものを貸し出したり贈呈するひとがいないからだろう)、広東ポップスの展示はよかった。お天気もよくて、冬なのにポカポカ陽気だった。そのあと、映画『投名状』を見た。
12月27日 アニタのコンサートをプロデュースしたことがあるDさんとCAFEに行った。そこにいた、知り合いのファンと香港電台の『不死傳奇』のアニタ編の試写へいった。アニタの追っかけをしていたファンは、「アニタがここ(香港電台の敷地内)にいて、私たちはあのゲートの外から彼女の名を呼ぶと手を振ってくれたんだよ」と話す。その後、集まった何人かと食事へ。
続く
- 2008/01/07(月) 16:16:45|
- 梅艶芳
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